弁護士のブログBlog
「30年前の下宿先」 の 今 ⑴ 本郷篇
- 2019-05-08
私が司法試験に合格したのは平成元年
したがって,私が東京暮らしをしていた期間は,
昭和50年代後半から平成2年7月まで。
この間の「下宿先」は五カ所。
順に,
①文京区本郷■丁目の「ひなバアサン」宅(長屋の2階)
②杉並区浜田山■丁目のKさん宅
③文京区本郷■丁目の「寿荘」
④文京区大塚6丁目25-4の「ダイサン荘」
⑤三鷹市井の頭公園近くの「ひまわりハイツ」
いずれの下宿先も,既に,30年以上は経過している。
既に「記憶」と「土地勘」は,大きく損なわれているが,
私には,有力な捜索資料が残っている。
そう。「筆まめ」だった(高校時代からの)親友S君(京都在住)が,
私の大学時代に,せっせと書いて送ってくれていた手紙に,
私の下宿先の住所が書かれてあり,
その手紙の数々を今も大事に保管してあるわけだ。
この10連休のうち,1日「お休み」をいただいて,
5月5日,息子の下宿生活の様子を見にいくべく,
上京を企図したが,
この際だから,ついでに,
私のかつての下宿先の現況はどうなっているのか?
「30年前の名残」は残っているのか?
視察に行こうと思った。
息子に対し,予め電話をしておいた。
「明日午後2時頃,君の下宿に寄るから,
井の頭公園の散歩に付き合ってくれ。」と。
息子の下宿(世田谷区)に行く前に,
順に③→①→④を視察し,
息子の下宿に到着後,息子を連れて,
②→⑤の順に向かうという遠大な計画だ。
さて,東京の住宅街は,先の平成30年間に,
どのような変貌を遂げるものなのか??
「訪問先・第1号」は,
「寿荘」 (上記②)だ。
地下鉄丸の内線・本郷三丁目の駅を降りて,
大学に向かう途中の路地を左折して,
次いで,右折したらあるはずの・・・・
「寿荘」(②)だが,・・・
間違いなく,本郷5-22-18だが・・・
今は,ない!!
「良心的なリフォーム」で評判のいい,という
江田建設株式会社の建物に変貌していた。
ありゃまぁ・・・
でも,この下宿では,あまりいい思い出がないので,
喪失感は殆どない。
次に向かった
「訪問先・第2号」は,
「ひなバアサン」の長屋 (前記①)。
実は,ここは,10年以上も昔,
子ども達を連れて上京した際,「空き家」ではあったが,
「ひなバアサン」の表札「秦」(ひなさんの名字)が残っていたのを確認しているので,
今回も,きっとあるに違いないと思っていた。
やはり,今回も「秦」さんの表札は残っていた。
が,アレっ? いつの間に,吉田松陰さんが隣に???
今から,約40年も昔,私が下宿していた当時,
「ひなバアサン」は,優に80歳は超えており,
ご家族もいない様子だったので,この下宿の土地建物は,
「ひなバアサン」亡き後は,
無主物として,国庫に帰属するのかな?(民法239条2項)
と思っていたのだが・・・・
ここで一句。
草の戸も,住み替わる代ぞ,ひなの家
( Even a thatched hut ,namely Hina’s house May change with a new owner .)
ひな婆さんの自宅の前からは,大学が見える。
ここまで,来たら,大学はすぐ前なので,
ちと寄っていくとするか。
そういえば,安田講堂・地下の中央食道が変わったということなので,
視察に出向くとするか。
(図書館の前を過ぎて・・・)
(中央食堂・内部の様子・・・)
(2階から)
(1階へ)
(三四郎池を通って)
(あれっ? 鯉なんて居たっけかなぁ・・・)
(赤門を出て・・・)
いざ,
「訪問先・第3号」
大塚の「ダイサン荘」へ
・・・つづく