北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「30年前の下宿先」 の 今 ⑴ 本郷篇

私が司法試験に合格したのは平成元年
したがって,私が東京暮らしをしていた期間は,
昭和50年代後半から平成2年7月まで
この間の「下宿先」は五カ所

順に,
①文京区本郷■丁目の「ひなバアサン」宅(長屋の2階)
②杉並区浜田山■丁目のKさん宅
③文京区本郷■丁目の「寿荘」
④文京区大塚6丁目25-4「ダイサン荘」
⑤三鷹市井の頭公園近くの「ひまわりハイツ」

いずれの下宿先も,既に,30年以上は経過している。
既に「記憶」と「土地勘」は,大きく損なわれているが,
私には,有力な捜索資料が残っている。
そう。「筆まめ」だった(高校時代からの)親友S君(京都在住)が,
私の大学時代に,せっせと書いて送ってくれていた手紙に,
私の下宿先の住所が書かれてあり,
その手紙の数々を今も大事に保管してあるわけだ。

この10連休のうち,1日「お休み」をいただいて,
5月5日,息子の下宿生活の様子を見にいくべく,
上京を企図したが,
この際だから,ついでに,
私のかつての下宿先の現況はどうなっているのか?
「30年前の名残」は残っているのか?
視察に行こうと思った。

息子に対し,予め電話をしておいた。
「明日午後2時頃,君の下宿に寄るから,
 井の頭公園の散歩に付き合ってくれ。」と。

息子の下宿(世田谷区)に行く前に,
順に③→①→④を視察し,
息子の下宿に到着後,息子を連れて,
②→⑤の順に向かうという遠大な計画だ。

さて,東京の住宅街は,先の平成30年間に,
どのような変貌を遂げるものなのか??

「訪問先・第1号」は,
「寿荘」 (上記②)だ。

地下鉄丸の内線・本郷三丁目の駅を降りて,
大学に向かう途中の路地を左折して,
次いで,右折したらあるはずの・・・・
「寿荘」(②)だが,・・・

間違いなく,本郷5-22-18だが・・・

今は,ない!!

 

「良心的なリフォーム」で評判のいい,という
江田建設株式会社の建物に変貌していた。
ありゃまぁ・・・
でも,この下宿では,あまりいい思い出がないので,
喪失感は殆どない。

次に向かった
「訪問先・第2号」は,
「ひなバアサン」の長屋 (前記①)。

実は,ここは,10年以上も昔
子ども達を連れて上京した際,「空き家」ではあったが,
「ひなバアサン」の表札「秦」(ひなさんの名字)が残っていたのを確認しているので
今回も,きっとあるに違いないと思っていた。
やはり,今回も「秦」さんの表札は残っていた。

が,アレっ? いつの間に,吉田松陰さんが隣に???

今から,約40年も昔,私が下宿していた当時,
「ひなバアサン」は,優に80歳は超えており,
ご家族もいない様子だったので,この下宿の土地建物は,
「ひなバアサン」亡き後は,
無主物として,国庫に帰属するのかな?(民法239条2項)
と思っていたのだが・・・・

ここで一句。

草の戸も,住み替わる代ぞ,ひなの家
( Even a thatched hut ,namely Hina’s house May change with a new owner .)

 

ひな婆さんの自宅の前からは,大学が見える。

ここまで,来たら,大学はすぐ前なので,

ちと寄っていくとするか。

そういえば,安田講堂・地下の中央食道が変わったということなので,

視察に出向くとするか。

(図書館の前を過ぎて・・・)

(中央食堂・内部の様子・・・)

(2階から)

(1階へ)

 

(三四郎池を通って)

(あれっ? 鯉なんて居たっけかなぁ・・・)

(赤門を出て・・・)

いざ,

「訪問先・第3号」

大塚の「ダイサン荘」へ

・・・つづく