北口雅章法律事務所

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「患者の命の値段」が200万円だと? 「杉浦徳宏」論文を撃つ!!

杉浦徳宏氏(元大阪地裁部総括判事;現大阪法務局長)の論文
「医療訴訟における高齢者が死亡した場合の慰謝料に関する一考察」
と題する論文が判例時報2402号に掲載されていた。

曰く,
交通事故訴訟の多くの事例で,死亡慰謝料が2000万円前後とされているのに対し,
医療過誤訴訟で死亡した高齢患者の死亡慰謝料は,交通事故の場合の10分の1に相当する,
「最低限200万円」でよい(一桁違う!!,と

あまりの「非常識さ」に,顎が外れた。
いくら上記賠償額を「一律」とせず,「最低限」という形で含みを持たせているとはいえ,
名誉毀損訴訟における「100万円の賠償ルール」の「二倍相当」という
短絡的な考察を踏まえたもので,
どうゆう「神経」をしているのか???
このような裁判官こそ,
社会の常識的感覚から外れた「無神経」な裁判官というべきではないか? 
個人攻撃は本意ではないが,激しい怒りを覚える。

たとえ高齢者であっても,
患者の「人格・生命の尊厳」について,
杉浦徳宏氏は,いったい,どのように心得ているのか!!??

杉浦裁判官のような「非常識な」感覚のもとに,
医療過誤訴訟における死亡慰謝料が算定されるならば,
おそらく,たとえ病院側の過失が明らかな死亡事故事案でも,
高齢患者の医療過誤事件を患者側で引き受ける弁護士など,
殆ど存在しなくなるものと思われる。
医療過誤訴訟の成功報酬の相場は,概ね認容額の10%~15%である。
現在の医療過誤訴訟の実情は,最高裁の統計によれば,
患者側の勝訴率は,もともと交通事故訴訟になどに比べ低いが,
ここ数年間は,勝訴率20%前後と,極端に低迷している。
多くの場合,実力が低下した「小心者」の裁判官らが,自らの常識的感覚に自信がなく,事大主義的な態度をとるがゆえに,病院側の弁明をそのまま真に受けて措信し,病院側のいいなりの判決を書くからだ。

勝訴率20%前後といった低い勝訴率のもとで,
苦労して病院側の過失と,死亡との因果関係を立証して勝訴した,
という稀なケースであっても,
杉浦裁判官のごとき,「200万円の賠償ルール」が定着し,
弁護士の成功報酬が20万円~40万円ということになれば,
よほど正義感の強い,「奇特な」弁護士でない限りは,
医療過誤訴訟を患者側での引き受け手は,いなくなるであろう。
「高齢者の医療過誤訴訟」を引き受ければ,
医療過誤訴訟である限り,膨大な時間とエネルギーを消耗し,
経費が持ち出しになり,法律事務所の経営が成り立たなくなるからである。ADRを利用した方がまだましだということになりそうなものであるが,結局は,ADRを利用した賠償額も,医療訴訟の賠償額が反映されるので,死亡慰謝料の相場は格段に低下しよう。

以上の問題は,当事者(患者遺族)が訴訟提起の有無を検討する際の経済的メリットと,弁護士の経済的事情に絡むものとはいえ,亡高齢患者の生命の価値評価に絡むしという面では,患者の人権問題にも直結する問題でもある。この意味で,「杉浦論文」の提唱する,医療過誤訴訟における損害論は,妥当でない。
とはいえ,弁護士の「懐(ふところ)事情」を前面にもちだすことは,職責の関係で品がないと思われる可能性があるので,ひとまず措くとしよう(「弁護士経営努力不足論」や,高橋宏志名誉教授[東大法学部]「成仏理論」に対して,いくらでも反論できる用意はあるが。)。

しかしながら,

杉浦論文の問題は,理論的にも正しくない。

まずは,「名誉の値段」と「命の値段」を低いところで,比較・考察している非常識さに驚きあきれる。第1に,「名誉」と「生命」の価値など,単純に比較すべきものではない。名誉侵害であれ生命侵害であれ,金銭的評価は免れないとしても(民法417条,722条),一方の名誉侵害の態様,被害の深刻度は,千差万別であるのに対し(浮浪者が道端で「強姦魔!」と非難された場合と,社会的な地位のある著名人が,女性から根拠なしに「記者会見を開いて」「強姦魔!」と連日連夜,中傷・誹謗「報道」された場合とでは,損害評価に自ずと違いが生ずるであろう。),生命侵害の場合は,「命の喪失」という一点が問題となり,しかも,「人格的価値の平等原則」が強く働く。もしも「最低限200万円」という金額を正当とする判例が現れれば,「議員定数不均衡訴訟」と同様,投票価値の平等が2倍以上の不均衡が違憲と考えれるのと同様,2倍以上の生命価値(人格的価値)の差別的扱いは,到底正当化されないので,死亡慰謝料は400万円が限度ということになりかねない。

次に問題なのは,杉浦氏は,高齢者であっても,一方で,交通事故で死亡した場合の,死亡慰謝料の相場が概ね2000万円であることを認めつつ,他方で,医療過誤で死亡した高齢者の場合は,それよりも低くて構わないという思考回路の理由として,

① 第1に,交通事故の場合,「健康な者が突然交通事故の被害者となるのが一般である」のに対して,医療訴訟の場合,被害者(患者)は,もともと何らかの疾患を有し健康を害しているものであること,

② 第2に,交通事故の場合は,加害者と被害者との間に契約関係がないことを前提として,迅速な賠償が要請されるのに対し,医療過誤訴訟の場合は,契約関係にある医師(病院)と患者の関係であり,「真実の発見」と「憎しみの克服」を目的する訴訟である,などという杉田氏独自の前提認識が論じられている(ダニエル・H・フット教授の論文を引用しているが,この論文は1つの「傾向」に過ぎず,それが全てではない。医療被害者が医療機関に対し「憎しみ」を抱くのは,少なくとも私の経験では,医療被害にあったこと自体に対するものではなく,医師が真実に反し虚偽の弁明をしたり,著しく粗雑な態度で医療行為を手がけた場合に限られる。)。

しかしながら,

まず,上記①の点については,
同じ交通事故の場合でも,病気持ちの高齢患者が,通院先の病院に「通院する途上」で交通事故に遭遇した場合は,「杉浦理論」によれば,「最低限200万円ルール」でよい,ということになるが(交通事故を契機に死亡しようが,高齢者の大半は,体力も衰え,何らかの持病を抱えている。),このような非常識な実務感覚に賛成する弁護士がいるであろうか? いかに高齢者が持病をもっていたからといっても(杉浦論文の設例では,「嚥下障害」),人格の尊厳,生命侵害の重大性に何ら径庭はない明白な薬剤の処方ミスによって,嚥下障害に起因して誤嚥性肺炎で死亡すれば,死亡患者の無念は察してあまりあるものだ,というが我々健全な法律家の常識的感覚であって,「杉浦裁判官」のような特異な思想をもった裁判官から,「あなたにはもともと『嚥下障害』の持病があったのだから,あなたの死亡=生命侵害に関する精神的苦痛は200万円どまりですよ。」といわれれば,誰しも怒り狂うであろう。もしそのように言われた亡患者が私の母であれば,杉浦判事を(精神的に)張り倒す(ちなみに,私の師匠・石原ボスは,誤嚥性肺炎で亡くなられた,とうかがっている。)。「杉浦理論」は,かつてのナチス・ドイツにおける,精神病患者は,「民族の血を劣化させる」「劣等分子」として,「安楽死」させてもよい,といった「生命価値の序列化」を認める独善的な思想とも相通じるものがあり,「高齢者の生命軽視の思想」だといっては言い過ぎか?

次に,上記②の点についても,

これが医療裁判の経験のある裁判官が考えるレベルか?と思われる。
たとえ,交通事故であっても,「憎しみの克服」の問題は当然あるし,事故態様に争いが生じた場合,「真実の発見」は前面に出てくる(たとえ,物損事故でも過失割合が先鋭に争われるケースががある。)。しかも,医療裁判は,「真実発見」が第1の目的だというが,「カルテの空白について,病院側に都合のいいように埋め合わせ」,「カルテの記事さえも,文字どおり理解せず,病院側=医師の主張に沿って歪曲し」,もって,「真実」に背を向けるのが,あなた方,医療部の裁判官ではないのか!? 私は,ここ数年,そのような「真実発見」とは,ほど遠い裁判例をいくつも経験してきた(医療裁判の目的は,正確には,「真実発見が目的」ではなく,「発見した真実を,裁判官に認めさせることが目的」である。)。もとより,医療訴訟であっても,迅速な賠償が要請されることは当然だ。少なくとも,交通事故であれ,医療過誤であれ,訴訟の目的によって,人格的価値の評価に差を設けるような理解は,誤っていると断定できる。

もとをたどれば,杉浦論文の発端・契機は,

杉浦判事が,大阪地裁医事部の部総括判事であったとき,ある大学病院の病院長から,
「なぜ医療訴訟で医師の責任が認められると賠償額が高額になるのか理解できない。」
「私たち医師は,神様ではないから手術の際の不注意により患者さんを死亡させてしまう可能性がある。しかし,死亡慰謝料が一律最低2000万円であるならば,高齢患者に対する手術はお断りした方が安全ですね。」と発言されて,
「この疑問に的確に答える合理的な説明を見つけ出すことはできなかった。」
からだという。

全く理解に苦しむ!

名古屋地裁・名古屋高裁管内で,
「医療訴訟で医師の責任が認められると賠償額が高額になる」などといった現象を,少なくとも,私は経験したことはないし,そのような運用などなされていない。現に,杉浦論文でも引用されているとおり,東京地裁医療集中部における死亡慰謝料の査定額の運用基準も,交通事故死に準ずるものとされており,医療関連死の死亡慰謝料が,交通事故死の死亡慰謝料の相場よりも「高額」になることが通例であるなどとはいえない。

次に,上記病院長は,「私たち医師は,神様ではないから手術の際の不注意により患者さんを死亡させてしまう可能性がある。」というが,当たり前だ。
誰が,「神様」レベルの医療水準が要求される,といったのか???
「神様」レベルでなくとも,平均的なレベルの医師であっても,医師に「通常」求められる「最低限のレベル」の注意が尽くされているなど,その弁明に一応の合理性があると認められれば,病院=被告側の法的責任はすべて免責される,といった病院サイドに立った「大甘の」の判決がくだるのが近時の医療訴訟の実情だ(そうだからこそ,原告患者側の勝訴率は,20%前後と著しく低いのである。)。
それにもかかわらず,
「死亡慰謝料が一律最低2000万円であるならば,高齢患者に対する手術はお断りした方が安全ですね。」などいって恥じない,当該「大学病院長」は,
医師資格を剥奪してやりたい。 医師の誤った判断ゆえに人間一人の命を奪っておきながら,200万円の賠償で済まされるというのであれば,「金持ちのボンボン」であれば,「親が出してくれる小遣い銭」でまかなわれる程度の金額であるし,フツーの医師であれば,「保険を使わずとも」「ちょっと貯金をくずす」ことで支払可能なレベルの安価「車を買うのよりも格段に安価」といったレベルの金額である。これでは,むしろ,杜撰診療,手抜き診療等の弊害が生じかねないものというべきである。この意味では,「杉浦論文」の提唱する,医療過誤訴訟における損害論は,法政策論的にも,妥当でない。

医師の職責・倫理感からして,上記「大学病院長」ような考えは,たとえ「冗談でも」許されないと思うし,そのような「非常識発言」をもって,「この疑問に的確に答える合理的な説明を見つけ出すことはできなかった。」(前掲・引用部分)などと平然と述べる,非常識な裁判官が医療部の部総括までされていたとなると,思わず,愕然としてしまう。

六年間医療訴訟を担当した裁判官」で,かつ,医療部部総括の経験者であって,このレベルかい。私は「20年以上,医療訴訟に従事してきた弁護士」であり,少なくとも,これまで医療訴訟の遂行のために投入してきた時間や労力・情熱は,杉浦氏に比べて,劣ることはないと自信をもっていえる。たかだか「六年間」のキャリアで医療や医療訴訟のことが分かった気になるな!,と申しあげたい。

裁判所は,着実に「劣化」している,とつくづく思った