北口雅章法律事務所

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再復刻! 巌谷小波著「こがね丸」(中)

         (六)

 さて黄金丸と鷲郎とは,義兄弟の約束をして,一緒に古寺に住むことになりましたが,もとより食物は自分たちで,探して来なければなりません。それにはちょうど鷲郎が,前から慣れていますので毎日野山をあさりまわって,小鳥を取ってきますと,それを黄金丸が料理して,仲良く食べておりました。
 ある日のこと黄金丸は,里までぶらぶら出て行った帰りに,独(ひと)り畑道を通ってきますと,かなたの山の根の所の,野菊の沢山(たくさん)咲き乱れている中に,黄色い獣の眠っているのが見えましたが,立ち止まってまづ鼻を動かしますと,正(まさ)しく狐の臭(にお)いがします。黄金丸は小首を傾(かたむ)け,
「待てよ。この間も文角の伯父さんに聞いたが,仇(かたき)の聴水という奴は,かつてお父さんに咬み切られて,尻尾(しっぽ)は半分しかないということだ。ドレ,こいつを検(あらた)めてやろう。」
と,そっと側(そば)へ行って見ますと,いかにもその狐の尻尾は,半分ほどよりありません。
「さてこそ聴水,思い知れ!」
と,直ぐにも飛びかかろうとしましたが,根(ね)が義を知る獣ですから,眠込(ねこみ)の敵を撃(う)つのは卑怯(ひきょう)だと,思い直して大声に,まづ
「聴水!」
と呼んでみました。
 するとその狐は「コーン」と返事をして跳ね起きましたが,黄金丸を見ると肝(きも)を潰(つぶ)して,一生懸命に逃げ出しました。
 さてこそ聴水,逃がしはせんぞと,黄金丸は追かけますのに逃げる者も追う者も,もとより道を選んではいられません。畑の作物を踏みつけ,蹴(け)ちらし,やがてある百姓家の,垣根の中へと走り込みました。
 その時ちょうど垣根の中に,六才ばかりの幼子が,余念(よねん)なく遊んでおりましたが,先に飛び込んだ狐に驚いて,逃げる弾みに方角をまちがえ,つづいて駆け込んだ黄金丸に,行き当たったからたまりません。その場にバタリと投げつけられて,ワアッとはげしく泣き立てました。 黄金丸は驚いて,急いで子供を抱き起そうとしますと,はやくもその声を聞きつけえ,百姓姿の大男が,納屋(なや)の方から飛んで来ましたが,黄金丸の様子を見ると,子供を咬(か)んでるとでも思ったのでしょう。持ち合わせた天秤棒で,力一杯撲(なぐ)りつけましたから,黄金丸は肩を打たれて,思わずそこへ倒れました。
 ところをなおのしかかって,五つ六つ撲り続け,弱る所を抑えつけて,とうとう麻縄(あさなわ)で縛りあげてしまいました。元より強い黄金丸ですが,相手が人間では歯向(はむかい)が出来ません。ことに子供を投げ飛ばしたのは,自分の粗相(そそう)に相違(そうい)ありませんので,それを弁解(べんかい)しようにも,言葉が通じない悲しさに,とうとうこんな目に会ってしまいました。
 それは仕方がないとしても,折角(せっかく)見つけた仇の聴水を,とうとう取り逃がしてしまいまして,悔しくて悔しくなりませんから,黄金丸はなお地団駄(じだんだ)踏んで,無念無念と吠え立てますと,それまで又聞きちがえられて,
「おのれ人間の子を傷(いた)めながら,まだそんなに暴れるか。憎い狂犬,どうするか見ろ!」
と,大男は引き摺(ず)り立てて,屋敷の裏の槐(えんじゅ)の樹に,厳重(げんじゅう)に縛りつけてしまい,
「今に仕事がしまったら,今夜は貴様(きさま)をぶち殺して,皮(かわ)は太鼓屋(たいこや)に売ってやり,肉は煮て食ってやるのだ。」

と,言いすてて奥へ行きました。
 後には流石(さすが)黄金丸も,先刻あまり撲られたので,今は力も弱り果て,麻縄一つ食い切って,逃げることさえできません。悔(くや)し涙に暮れるばかりです。
 話変わって鷲郎は,この日は自分が留守番をしていましたが,ちょっと里まで行った黄金丸が,いつまで待っても帰りません。そのうち日も暮れてきますのに,まだ影も形も見えませんから,そろそろ心配になりました。
「普通の野良犬とはちがうから,滅多(めった)に犬殺師にやられますまいが,もしや毒(どく)でも食わされて,そのまま帰れなくなったのではないか。」
と,思うと気が気ではありませんから,とうとう自分も棲家(すみか)を出て,里の方へと尋(たず)ねに出ました。
 すると,ある家の垣の中に,何だかうめき声が聞こえます。ふと耳を立てますと,どうやら黄金丸の声に似ていますので,何でゆうよしていましょう。幸いの垣の穴から身を潜(ひそ)めて忍び入り,声のする方へ行ってみますと,
案の定(あんのじょう)大きな槐(えんじゅ)の根方(ねかた)に,厳重に縄で繋(つな)がれて,苦しそうにうなっているのは正(まさ)しく黄金丸に相違ありません。
「オオ,兄貴,どうした?」
と,走りよって声をかけますと,黄金丸はようやく頭をあげ,
「おお鷲郎か,よく来てくれた。」
と,言うのも虫の息のようです。
「何にしても,これではならん。」
と,急いで縄を咬み切りまして,
傷口を一々舐(な)めてやりながら,
「一体どうしたというのだ。」
と,聞くので黄金丸も手短(てみじか)に,今日の昼間の話をし,
「今にここの主が来ると,私は殺されてしまうのだ。」
「それは大変だ。はやく逃げよう。」
「逃げようにも・・・足が立たない。」
「よし,おれがおぶってやる。」
と,痛手(いたで)に悩(なや)む黄金丸を,鷲郎は背に負って,もと来た穴から垣を出ると,そのまま古寺へと連れて帰りました。

         (七)

 黄金丸は鷲郎に助けられて,ようやく住所(すみか)へ帰りましたが,何しろ身体中の痛みはげしく,ことに前の右足が挫(くじ)けて,ただの一歩も歩けませんから,
「アア,残念でたまらん。このまま不具(かたわ)犬になったら,せっかくの心願も叶(かぬ)う訳にゆかず,世話になった文角の伯父さんにも,もう合わす顔がない。」
と,またしても悔し泣きに泣きますが,鷲郎はその側(そば)から,
「決して力を落とす事はない。七転八起というたとえもある。気を長く養生(ようじょう)さえすれば,きっと元の身体になれるよ。」
と,力をつけておりました。
 ある日鷲郎は,午前から餌(え)を取りに出て,黄金丸が独り残っておりますのに,ちょうど小春日(こはるび)の暖かなので,気分もどうやら快(よ)くなりましたから,縁側(えんがわ)までにじり出て,庭の景色(けしき)をながめておりました。すると不意(ふい)に天井(てんじょう)で物音がして,チュウチュウチュウという鼠(ねずみ)の声が,けたたましく聞こえましたが,間もなく黄金丸の目の前へ,何者(なにもの)に追われましたか,一匹の雌鼠が駆けて来て,膝(ひざ)の陰に身を潜(ひそ)ませ,いかにも助けを求める様子です。黄金丸も不憫(ふびん)に思い,それをしずかに庇(かば)いながら,追われて来た方を見ますと,むこうの板戸の割れ目から,黒い猫の顔が見えましたが,しかもそ奴はこの間,鷲郎と初めて会って,獲物を争って居た時,傍(かたわ)らから来て雉子を盗んだ,あの野良猫に紛(まぎ)れもありません。
 けれども猫は,黄金丸は病気と侮(あなど)り,隙(すき)があったら,今の鼠を,とって行こうという様子ですから,黄金丸は大きに腹立てて,今は身中の痛さも忘れて,ワンと一声叱りつけながら,やにわにそこへ飛びかかりますと,黒猫は勝手がちがって,慌(あわ)てて柱へ逃げ登る弾みに,逃げ損(そこ)なって柱から,真っ逆さまに落ちるところを,難なく取って抑えまして,見る間に息の根を止めてしまいました。
 この時雌鼠は,恐る恐る黄金丸に向かい,丁寧に頭をさげて,さも嬉しそうに礼を言いますから,黄金丸は言葉優しく,
「曲者(くせもの)は退治してやったぞ。もう何も案ずる事は無い。それにしてもお前は何者だ?」
と聞きますと,
「ハイ,私は阿駒(おこま)と申しまして,此(こ)の天井に棲(す)む者でございます。又この黒猫は烏玉(うばたま)と申しまして,ここらにいる無頼者(ならずもの)でござりますが,今日も私の巣へ参りまして,私の夫を咬みころし,私をさらって参ろうと致しますので,遂に逃げ場を失いまして,おそばを汚すようなことになりました。どうぞお許
し遊ばして下さいまし。」
と,謝りますから,こちらは軽く頭を振って
「イヤ,決して詫びるには及ばん。この黒猫は俺達にも,かねて恨みのあった奴じゃが,お前という手引きがあって,今日は成敗(せいばい)することも出来て,こんな嬉(うれ)しいことはない。」
と,こんな話をしている所へ,ちょうど鷲郎も帰って来ましたから,今の事を又話しますと,鷲郎も感心して,「イヤ,お手柄お手柄!病気でいてもそんな事ができれば,もう何も心配することはない。猫は本当の虎とさえ言うから,おつつけ真の大虎も討てる,好い前兆(ぜんちょう)とも言えるじゃないか。」
と,大層喜んで,持って帰った小鳥と一緒に,その黒猫も料理して,前祝(まえいわい)の酒宴(さかもり)をしました。
 とまた阿駒は,自分の命を助けてもらった,ご恩返しを致しますというので,甲斐甲斐(かいがい)しくその給仕(きゅうじ)をしましたが,これから後は毎日のように,阿駒は黄金丸のそばへ来て,ある時は看護婦(かんごふ)にもなり,ある時は小間使いにもなり,又ある時は,綱(つな)渡りや籠(かご)抜けなどの,いろいろな芸をして見せて,黄金丸を慰(なぐさ)めましたが,これは以前(いぜん)香具師(みせものし)に飼われて,見世物に出ていたことがあったからでした。

                  (八)

 こうして一月ばかり経(た)つ中に,黄金丸の傷は,大方治(なお)りはしましたが,まだ右の前足だけは,思うように働かすことができません。
 さてはいよいよ不具(かたわ)になるのかと,黄金丸は気にしておりますと,ある時鷲郎はどこかで聞いて来て,
「オオ,黄金丸喜ぶがよい。今日は好いことを聞いて来た。私の古い友達の話に,ここから南へ一里ばかり行くと,木賊(こくさ)ヶ原という所があるが,そこに朱目(あかめ)の翁(おきな)といって,劫(こう)を経た兎がいる。この爺(じい)さんは若い時分,柴刈爺さんの仇の狸(たぬき)を,見事海へ沈めた手柄(てがら)で月宮殿のお月様から,杵(うす)と臼(きね)とを賜(たまわ)って,不思議の霊薬(れいやく)をこしらえているのだ。で,その友達もこの間,町の子供に石をぶつけられて,ひどく後足を傷(いた)めたが,その爺さんの薬を貰ったら,直ぐに癒(なお)ってしまったと言うんだ。どうだい,お前も一つそこへ行って,その薬をつけてもらっては・・・一里位は歩けない事もあるまい。」
と,こう言いますと,黄金丸は喜び、
「それは何より有り難い。では早速行く事にしよう。」
と,翌日は朝から出て,教えられた木賊ヶ原の,朱目の翁の所へ来ました。
 見るとなるほどその兎は,毛は雪のように白く,目は紅宝石(ルビー)のように赤い,いかにも気高(けだか)い爺さんでしたが,黄金丸の頼みを聞いて,その傷を検(あらた)めますと,まづ舌でよく甜(ねぶ)ってから,薬を十分に塗りつけ,
「この傷は少し手後れをしたが,この霊薬をつけさえすれば,一夜のうちにきっと治る。しかし少し尋(たず)ねたいこともあるから,明日も一度来て見なさい。」
と言います。
 黄金丸は礼を言って,やがて又帰りましたが,その途中,とある森の蔭(かげ)へ来ますと,たちまちむこうの茂みの中から,ヒュウと言う音がして,矢が一本飛んで来ました。
 けれどもこちらは油断(ゆだん)ん。早くも体をかわして,その矢を口で咬い止めながら,その来た方を見返しますと,二抱(ふたかか)えもある赤松の,幹(みき)の股(また)になっている所に,黒猿が一匹いまして,左の手に黒木の弓を持ち,右の手に青竹の矢を取って,なおその矢を番(つ)がえようとしましたが,黄金丸のにらみつけるに,急に怯気(おじけ)が出たとみえて,今は矢も得放たず,赤い尻を見せながら,枝づたいに逃げてしまいました。馬鹿な奴がと嘲(あざけ)りながら,黄金丸はそのまま帰りましたが,さっきの薬が効いたものか,急に足が楽になって,朱目(あかめ)の翁の言葉の通り、一夜のうちに治ってしまいました。
 そこで次の日には,豆滓(うのはな)を少しばかり持って,又朱目の所へ行き,
「お蔭(かげ)様ですっかり治りまして,まことに有り難うございます。これは少々ばかりでございますが,無主犬(ぬしなしいぬ)で思うような事もできません。ほんの御礼の印(しるし)までに。」
と,言って豆滓(うのはな)を出しますと,
「イヤ,これは好物をかたじけない。」
と,喜んでそれをうけ取り,さて言葉を改めて,
「無主犬とおっしゃるが,失礼ながらお前さんは,決して
ただの犬ではない。見うける所遠からず,非常な手柄をなさる相が,自然と面に現れている。」
と,言うので黄金丸も驚きましたが,今は何も隠すには及ぶまいと,自分の素性(すじょう)から心願のことを包まず話してしまいました。
 すると朱目は膝(ひざ)を打って
「さてこそ私の見た通りじゃな。しかしそれほどの力はあっても,何分(なにぶん)年が若いから,まだ分別(ふんべつ)が足らんようじゃ。さればこそ古狐めを,またしても取り逃がして,かえって自分が怪我(けが)をした。さぞ残念なことであろう。しかしその古狐を退治するには,私が好い方法を教えてあげよう。一体狐というやつは,獣の中でも悪智恵には,一番たけてたずるい奴じゃが,根が畜生(ちくしょう)の悲しさは,自分の好きな食物のためには,おぞくも罠(わな)に落ちるものじゃ。」
「その罠の事も聞いていましたが,それはどうして掛ける
のです?」
「それはこうしてこしらえるのじゃ。」
と,親切に教えたあげく,
「そしてその罠に,ふとった雌の鼠を,油に揚げて付けておけば,その香気(におい)におびき寄せられ,十匹が十匹皆掛かってしまう。これが狐釣(きつねつり)の秘法なの
じゃ。」
と,なおもくわしく聞かせましたので,黄金丸は大喜びで,やがて暇(いとま)を告げて出ましたのは,もう夕方近い頃でした。
「これは思いの外遅くなった。さぞ鷲郎が待っていよう。又心配させないうちに。」
と,急いで森の所へ来ました。
 すると又昨日の所に,昨日の黒い猿がいて,昨日のとおりに矢を射(い)かけましたが,今度は肩をかすったばかりですから,黄金丸はすぐに追いかけて引捉(ひっとら)えようと思いましても,何分(なにぶん)先は木登りの達者(たっしゃ)、枝から枝へと渡りますので,どうすることも出来ません。
「それにしてもあの猿は,何で俺を狙(ねら)うのだろう。犬と猿は大昔,一緒に桃太郎さんのお供(とも)をした,家来(けらい)仲間でありながら,どうしてこんな悪戯(いたずら)をするのか。」
と,不審(ふしん)は一向に晴れないながら,やがて棲所(すみか)へ帰りました。

         (九)

 黄金丸が古寺へ帰ってきたのは,もう日が暮れてからのことでした。又途中で怪我(けが)でもなかったかと,鷲郎は心配して,門口まで迎いに出ていましたが,
「オオ,今帰ったのか。大層遅かったじゃないか。又こないだのようなことがありやしないかと,実は気をもんでいたところだ。」
と言いますと,黄金丸は笑いながら,
「イヤ,心配かけて済まなかった。実は,朱目の爺さんの所で,つい話が長くなったもんだから・・・」
と,言いながら一緒に入りましたが,やがて夕飯も一緒に済ませてから,
「実は今日朱目の爺さんに,好い話を聞いてきた」
と,例の聴水を釣(つ)る計略(けいりゃく)の事から,鼠の天麩羅(てんぷら)の話をしますと,鷲郎もうなづいて,
「そりゃぁ私も猟師の所におったから,とうから来ていたことだが・・・。」
と,言いながら又声を潜(ひそ)め,
「それにはちょうど好(よ)い者が居る。こないだお前の助けてやった,あの阿駒(おこま)という雌鼠・・・」
と,言いながら天井を見上げますと,黄金丸は頭(つむじ)を振って
「それは僕も気がつかんじゃないが,一旦(いったん)危(あや)うい命を助けた者を,又そんな目に会わすことはできん。これは何でも他の野鼠(のねずみ)を,うまく捉(つか)まえてからのことだ・・・」
と,皆までまだ言い切らないうちに,キャッと叫ぶ声がして,鴨居(かもい)からパタリと落ちたものがありますから,何者かとよく見ましたら,それこそ今も噂(うわさ)をしていた,あの雌鼠の阿駒でしたが,どうしたのか口からは,真赤な血を吐(は)いて苦しがっています。
「オオ,どうした。又猫に追われたのか。それとも鼬(いたち)にやられたか・・・」
と,黄金丸は抱きあげて尋(たず)ねますと,阿駒は苦しい息の下から,
「いいえ,誰にも追われは致しません。・・・自分で毒を呑(の)んだのでござります。」
と言います。
「それは又何としたんだ?」
「理由があろう,聞かせてみろ!」
と右左からつめよりますと,阿駒は二匹の前に手をつき,
「理由は他でもござりません。あなた方のお役に立ちたいからでございます。どうぞ私を天麩羅にあそばして,狐をお釣り下さいますように・・・。」
と,言うので二匹も顔見合わせ、
「それでは今の話を聞いて・・・?」
「ハイ,残らず伺っておりました。この間のご恩返しに,どうかして黄金丸様の,お役に立ちたいとは存じますが,もとよりお慈悲(じひ)深い方,いくらお願い申しても,ご自分の牙(きば)をおかけ下さることは,とてもなさるまいと存じましたから,自分で命を棄(す)てたのでございます。どうせ私は生き残っても,何の楽しみも無い身の上、それより早くあの世へ行って,先の夫に会いとうござります。これと言うのも普段から,大黒様に願をかけて,こんな小さな獣でも,どうぞ死花(しにはな)を咲かせたいと,願った一念が届いたのでございます。どうぞ私を今から直ぐ,その天麩羅になさいまして,今夜のうちにも罠(わな)にかけ,聴水狐をお討ち取り下さい! どうぞどうぞ・・・」
と,言ううちに,もう息は絶えてしまいました。
 二匹の犬は感じ入り,
「国に盗人家に鼠とまで,昔から人間に憎まれる獣でも,一旦うけた恩義(おんぎ)には,かくまで深く感じるものか。・・・それにしても自分から死んで,世にも恐ろしい油鍋(あぶらなべ)に入り,天麩羅にまでなろうとは,何と言う健気(けなげ)なことだ。」
と,しばらく死骸(しがい)を眺(なが)めていましたが,
「この上は一刻も早く,望み通りにしてやる方が,かえって功徳(くどく)になるだろう。」
と,黄金丸はすぐに支度(したく)して,今死んだ阿駒の身体を,そのまま天麩羅に揚げますと,鷲郎はまた藪(やぶ)へ行って,手頃(てごろ)の竹を切ってきて,かねて見覚えの狐罠を,急いでこしらえにかかりました。

       (十)

 ここにまた古狐の聴水は,この間途中で黄金丸に出会せ,もう少しで捉まえられる所を辛(から)くも命拾いしましたが,その時から怯気(おじけ)が出て,昼は滅多(めった)に表へ出ず,夜も油断(ゆだん)をしませんでしたが,その後他の獣仲間に聞くと,黄金丸はちょうどあの時,百姓家の主人に捉(つか)まって,半死半生の目に遭(あ)わされ,今では片足跛(かたあしちんば)になって,思うように働けないということですから,少しはまた安堵(あんど)をして,なおも様子を覗(うかがい)いますと,黄金丸はその傷のために,木賊ヶ原の朱目の所へ,療治を頼みに行くという事まで,早くも耳に入りました。
 すると聴水も考えました。
「まてよ。あの朱目の薬をもらったら,どんな難病(なんびょう)でも治ってしまう。せっかく不具(かたわ)になりかけた奴に,また達者(たっしゃ)になられちゃぁ,こりゃまたうっかり出来ないぞ。何でも今のうちにあの邪魔者(じゃまもの)を,巧(うま)く追っ払ってしまわなければ・・・」
と,もとより悪智恵のたけた奴ですから,すぐに一策(いっさく)を案じまして,ちょうどその頃金眸大王の所へ,新たに家来になってきた,黒衣(くろえ)という山猿を頼み,
「お前が途中で待ち伏せて,あの黄金丸を殺してくれれば,
私が大王様に申上げて,きっとご褒美(ほうび)を頂いてやるし,また出世もさせてやる。」
と,甘い言葉をくれますと,智恵はあっても浅はかな猿は,
「そんな事なら訳はなし。尋常(じんじょう)の勝負じゃ難しいが,こっちにゃあ弓矢という,飛道具(とびどうぐ)を知っているから,きっとあいつを仕留(しと)めて見せる。」
と,二つ返事で請け合いました。
 そこで狐も一安心しましたが,なお念のため,この次の日に,黒衣の所へ聞きに行きますと,黒衣はさも待ちかねたように,
「オオ,ちょうど好い所へ来た。今君の所は行こうと思ってた所だ。実は今日のたった今,黄金丸めをただの一矢に,見事(みごと)射倒(いたお)して来たところだ。」
と,さも得意そうに言いますから,
「それは天晴(あっぱれ)お手柄だった。して彼奴の死骸はどうした?」
「それも証拠(しょうこ)に持って来ようと思ったが,あいにくそこへ大きな人間が・・・多分犬殺師とでもいうんだろう,太い棒を持った奴が,どこからか来て肝腎(かんじん)の死骸を,自分で拾って行こうとするから,俺が取り戻そうと思ったら,その棒で打とうとする。怪我(けが)をするのもつまらないから,諦(あきら)めて引揚げて来た。ナニ,死骸は持って来ないでも,たしかに黄金丸は射とめてやったよ。見たまえ明日か明後日は,どこかの革屋(かわや)の店頭(みせさき)に,皮になってぶらさがっているだろう。」
と,さも口上手に言いますので,聴水もすっかり真(ま)に受け,
「それは何より有難い。この話を申し上げたら,大王様もさぞご満足,ご褒美は沢山くださるぞ。イヤ,ご苦労ご苦労。」
と,しきりに褒(ほ)めはやしながら,また帰って行きました。