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追悼?「田辺聖子」と,Masochismusと…

先月(6月6日)、作家・田辺聖子女史がが逝去された(91歳没)。
田辺女史は,大衆小説の作家・エッセイストにて,直木賞の選考委員として知られているが,もともとは『感傷旅行』で第50回芥川賞(1964年,当時36歳)を受賞されているので,
出発点は純文学であったかと思われる。

 

では,田辺聖子女史(91歳没)の作品は,芥川龍之介(35歳没)の作品を「越えた」といえるか?

芥川の場合,作品の殆どが短編小説であり,かつ,「斎藤茂吉からもらっていた致死量の睡眠薬を飲んで」若くして自死(35歳没)しているのに対し,91歳までの天寿を全うした田辺女史とでは,作品の量が圧倒的に異なる。しかも,私は,彼女の長編小説は全く読んでいない。
が,短編小説にしぼった場合,作品の質(文学性)は,ある程度比較できないこともない。

芥川龍之介の作品は,『今昔物語集』(説話文学)を典拠とした『羅生門』,『鼻』,『芋粥』などの歴史物・短編小説が著名であるが,実は,田辺女史にも,『田辺聖子の今昔物語』 (角川文庫1993/12) という『今昔物語集』を典拠とした短編集(出版当時65歳)があるからだ。そこで,両者を比較してみた。

結論から言うと,もちろん芥川の方に軍配は上がるが,その理由は次のとおり。
私は,田辺女史が,「平定文仮借本院侍従語第一」を翻案して,『平中の恋』と題する短編物語を書いているのに着目した。なかなか興味深い物語に目をつけたものだと感心したが,田辺女史の翻案物語を読んだ限りでは,田辺女史は,遺憾ながら,この説話の主題(本質)を見抜いていなかったのではないか?,と疑われた(本質を見抜いた上で,物語の本質を「換骨奪胎」したとも考えられるが,これでは純文学を指向する読者は納得しまい。)。このため,古典文学を見る目に関する田辺女史に対する私の評価は,相対的に下がってしまったのだ。

私自身が,「平定文仮借本院侍従語第一」の物語について,これを原文に忠実に,分かり易く現代語訳(趣旨を曲げない範囲で一部翻案)すると,次のとおりとなる(私の下掲・現代語訳と,田辺女史の翻案とでは,当然,表現は違っており,田辺案では,物語の本質を見抜くのは困難ではないかと思われた。)。
私のブログ読者には,この物語の「本質」が見抜けるであろうか?
是非,挑戦していただきたい。

 

「平(たいら)定史の煩悶(はんもん)」 (今昔物語巻30・第一より)

 今は昔,平定史(通称「平中」)という男がいた。当世,随一の色男で,身だしなみもダンディだった。このため,あらゆる女性からモテモテで,宮中の女官達のあこがれの的だった。
 当時,藤原時平という大臣がおられたが,その屋敷に「侍従君」という名の若い女官がいた。容姿端麗,気立ての優しい女であった。平中は平素,かの大臣(時平)のお屋敷に出入りしていたので,この女官の評判を聞きつけ,熱心に言い寄ったが,彼女はラブレターの返事すら返さなかった。このため,平中は嘆き悲しみ,「せめて(このラブレターを)『見た』という二文字だけでもご返事いただけませんか。」などと涙ながらに書いたラブレターを彼女に届けさせた。すると,平中の使者が彼女からの返事の手紙を持ち帰ってきたので,平中は狂喜し,すぐにその返事を手にとって見ると,平中のラブレターの紙の「見」「た」の二文字が各々くりぬかれて,返信の手紙に貼られていた。平中はこれを見て,悄然とし,二月末に「もう諦めた。もうこれ以上は無理だ。」と意を決して,彼女のことを忘れることにした。
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 ところが,五月二〇日頃,雨が降り続く漆黒の夜,平中はふと思った。「今夜だ! こんなロマンチックな夜こそ,彼女を一途に想って『夜這い』をすれば,どんな鬼のような心の女でも,心をゆり動かしてくれるに違いない。」と。
 そこで,平中は,深夜,雨が降り続く闇夜の中,皇居から大臣の屋敷に出向ていき,「侍従」(彼女)の局(つぼね)の中から召し使いの少女を呼び出し「恋い焦がれ,恋い焦がれて,お訪ねして参りました。」と言って取り次がせると,少女はすぐ戻ってきて,「今,大臣の御前では人々がまだ起きております。ですので,主人(侍従)はまだここへは来られません。もうしばらくお待ち下さい。主人が戻って参りましたら,私がこそっとお知らせしますから。」と言った。平中はこれを聞くや胸が踊(おど)り,「よっしゃあ! こんな夜だからこそ,思いが通じたのだ。」と狂喜し,真っ暗な土間に立ったまま,まだかまだかと待ち続けた。
 二時間ほどして,皆寝静まった気配がすると,奥から人の足音が聞こえ,引き戸の錠をそっと外す音がした。平中はうれしくなって,引き戸に近づき引くと,簡単にあいた。夢見心地で,嬉しさのあまり全身が身震いしてきた。平中は,はやる気を鎮めて,そっと女の部屋(局)の中に入ると,なんともうるわしい香りが部屋(局)中に満ち満ちている。寝床と思われるあたりを手探りすると,女が柔らかい薄着で,横になっている。頭や肩のあたりを探ってみると,頭つきは細やかで,髪にさわると冷ややかな感触がある。平中は,うれしさのあまり全身が震えてきて,声かけすべき言葉を失ってしまった。しどろもどろしていると,彼女は,「あら,大切なことを忘れていました。部屋の錠をかけ忘れていました。ちょっとお待ちを。」と言う。平中も,もっともだと思い,「では,すぐ行ってきて下さい。」と言って,起き上がり,「単衣に袴」だけつけ部屋を出て行った。

その後,平中は着衣を脱いで横になっていたが,部屋の錠をかける音が聞えたので,もう来るだろう,もう来るだろう,と待っていても,女の足音が奥のほうに遠ざかるかのように聞えたまま,もどってくる気配がしない。随分と時が経った。平中は不審に思って,起き上がって部屋の戸の所に行き,手探りすると錠は確かにある。ところが,戸を引いてみると,錠は向こう側からかけられ,女は,奥に行ってしまっていたのだった。平中は,愕然とし,茫然とたたずんでいると,涙がとめどなく流れ落ちてきた。「ここまで,引き込んで肩透かしかあ・・・。こんなことなら一緒に手をつないで,錠をかけさせるべきだった。まんまと謀られたのだ。私は,まるでピエロではないか。」と思うと,情けないやら,悔しいやらでやる方もない。「ここまでコケにされたのだ。もう夜が明けようと,このままここに居座ってやろう。人に知られたってかまうものか。」と気分は焼けっぱちだ。が,そうはいうものの,いざ明け方,人々が起き出す音がすると,やっぱり人目につくのはわがダンディズムに反すると思い直し,夜明け前に急いで立ち去った。
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 さて,その後は,平中もさすがに性懲りて,「この女の悪いウワサを聞き出して,きっぱり未練を絶とう!」と決意したものの,少しも彼女の醜聞(スキャンダル)は耳に入らなかった。益々思い焦(こが)れて過しているうち,ふと思いついた。「この女は,いかに見目(みめ)麗(うるわ)しくとも,便器に仕込んだ大便はわれわれと同じに違いない。そのモノを手に入れて見たならば,嫌気もさすだろう。」と。そこで,平中は,召使いの少女が彼女の便器を洗いに行くのを待ち構えていて,それを奪い取ってやろうと企図した。そして,さりげなく局の周囲で時機をうかがっていると,一七,八歳の美少女が紅梅模様の着衣(袙)を着,濃い紫色の袴をはき,薄紅色の布に包んだ便器を,赤い色紙の扇で隠しながら,局から出てきた。平中はニヤニヤしながら,彼女の後ろをこっそりつけていき,人目がなくなったとみるや,そっと近寄って,その便器を奪い取った。少女は泣きながら必死に便器を奪還しようと抵抗したが,平中はそのまま走り去った。そして,誰も居ない空き家に入って内側から鍵をかけると,追いかけてきた彼女は外に立って泣いていた。
 さて,平中が,少女から奪取した便器をまじまじと見ると,何と金粉の蒔(ま)かれた立派な漆塗りの器で,中を見るのは気が引けた。しばらくは便器の蓋も開けず,じっと外側を見つめていたが,平中は思い直して,恐る恐る便器の蓋を開けて鼻に当てると,なんとも香ばしい匂いがした。平中は,不審に思い,便器の中をのぞき見ると,黄色く黒ずんだ水が半分ほど入っている。その他に,親指の大きさほどの黄黒い色をした二,三寸ばかりの固形物が三個ほど入っている。「たぶんアレに違いない。」と思って見たが,なんとも香ばしい匂いがするので,その場にあった木の切れ端で突き刺し,鼻に当てて嗅いでみると,すばらしく香ばしい匂いがする。「コイツはただ者ではない。」と思い,この愛くるしいモノ(便)を見るにつけ,「なんとしてでも,この女をものにしたい。」との思いが狂わんばかりとなった。平中は,便器を引き寄せて,少し啜(すす)ってみると,にがくて甘く香ばしいこと限りない。また,木の枝先で刺して取り上げたモノの先をちょいと舐めてみると,ほろ苦くて甘く,このうえなくよい香りがする。平中は頭の回転の速い男だから,すぐに得心した。「あの尿に見せかけた小水は,香料を煮て作った出汁なのだ。もう一つのモノは,山芋(薢)と香を甘味料で調合した固まりを太い筒に通して,押し出したモノなのだ。」と。かくて平中は,「それにしても,男から自分の便器の中をのぞき見られるなどと思いつく女などいまい。これほどの機転の効く女は,この世の者とは思えない。ああ,なんとかこの女を手籠(てごめ)にしたい。」と恋焦がれているうちに,精神を患らった。そして,平中の精神の病は悪化の一途をたどり,ついに若くして死んでしまった。
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 なんともつまらないことである。男も女も,なんと罪深いことか。
 されば,「女の尻(しり)を追っかける色情狂は,ろくでもない。」と世間の人々は彼を誹謗した,と語り継がれている。
(以上,おわり)

さて,ブログ読者は,この物語の主題が何であるか,わかったかな?

沼正三の長編SF・SM小説『家畜人ヤプー』を読んだことのある読者はお解りのことと思うが,私は,この作品の主題は,Scatology(スカトロジー)を伴ったMasochismus(マゾヒズム)であると思う。