北口雅章法律事務所

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「相応寺」(初代尾張藩主の母堂の菩提寺)で見つけた文化財等 *追記あり

先般(令和元年8月24日),
相応寺の住職に頼んで,同寺・本堂にて,亡父の三周忌の法要をやらせていただいた
相応寺は,尾張藩初代藩主・徳川義直公の母堂「お亀の方」の菩提寺
由緒あるお寺だけに文化財も豊富で,堂内等を鑑賞するのも楽しい。

さすがに本尊・伽藍内部に向かって,スマホ・カメラを向けるのは憚られたが,
梁の上くらいなら…と思い,不謹慎ながら「無断」撮影。

( ↑ 撮影失敗 cymbal?)

「梁(はり)」と柱が交差する場所に,四体の菩薩が配置されていた。
各々,柱を背に各々楽器様のもの(太鼓様の打楽器,笙,シンバルcymbal?)を持っている。いずれも脚の形が膝をついており,雲上を模していると思われるので,多分,阿弥陀如来の来迎時の眷属(菩薩)を造型したものと思われる。

ちょっと驚いたのが,
相応寺は,浄土宗のお寺のはずだが,・・・
なんと!,弘法大師・空海ではないか!!

さっそく住職にうかがうと,本寺の納骨堂は,山口県にあった堂を移転したが,そこでは,弘法大師・空海と祀っていたという。理由は不明だが,「空海とのご縁」は,ちと嬉しかった。

ちなみに,義直公の御母堂「お亀の方」は,相当な美人でパワフル(?)であったと思われる。
というのは,亡父の墓の前に,家老のお墓が約4基立っているが,
相応寺住職の話によると,その家老は,いずれも,義直公との関係は,
異父兄弟の兄だったとのこと。
つまり,徳川幕府初代将軍・家康公は,
お亀の方にとっては,「三番目の」後釜(旦那)で,義直公の出産前,前の夫との間の連れ子,前の前の夫との間の連れ子を連れて,「お嫁(側室)入り」してきたとのこと。そして,義直公の「種違いの」兄達が,「家老」として,義直公の行状を監視・監督していたらしい。

 

今の住職(多分,私より若い)の写真が・・・“名古屋の清水寺” 名刹「相応寺」

 

*追記(令和元年9月7日)

徳川義直公の生母「お亀の方」の肖像画が,義直公の直筆だったとは,

今頃,気が付いた。

 

 

ちょっと,宣伝とご案内

(現在の所在地・・覚王山・日泰寺に参詣の折に立ち寄っては?

 

上掲「安政名古屋図」から,当時の「建中寺」(歴代徳川将軍の菩提寺)と相応寺の位置関係がわかる。「建中寺」の位置は,江戸時代から変わっていない。

ちなみに,上掲「安政名古屋図」の名古屋城を拡大すると,・・・

(相応寺の待合室にあった。)