北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

毛利元就の息子らは「三本の矢の教え」を守ったか?

私が幼少時に親から与えられて読んだ,
偉人の逸話集の本の中の「定番」として,
戦国大名・毛利元就「三本の矢の教え」というのがあった。

「三本の矢の教え」の要旨は次のとおり。

毛利元就には,3人の息子がいたが,
ある日,元就は息子らに矢を各々1本ずつ渡し,
「この矢を,折ってみなさい。」と指示したところ,
息子は,各々,平易に矢を折った。
次いで,元就は,息子らに矢を各々3本ずつ渡し,
「矢を3本,一挙に折ってみなさい。」と指示したが,
息子らは,いずれも,単独では,矢三本を折ることができなかった。
そこで,元就は,息子らに対し,
「お前達,各々1人では,矢三本を折ることはできなかったが,
3人が力を合わせれば,矢三本を折ることができた。
だから,兄弟仲良く助け合って,一つの偉業を成し遂げよ。」
と諭した,という趣旨の話だった,と記憶している。

(幼少時は,私も素直な子だったので,「矢三本くらい,三回に分けて折れば,独りでも折ることができるではないか。」とは考えなかった。)。

さて,史実として,元就の子らは,
「三本の矢の教え」(兄弟の結束)を守ったといえるか?

これまで考えたこともなかったが,
最近読んだ本(本郷和人監修『戦国武将の解剖図鑑』)の中に,
元就の子らの話が出ていたので,
幼少時に読んだ上記逸話を思い出した。

毛利元就は,戦国時代,中国地方を統一した知将として知られるが,
長男隆元は,若くして死亡しており,
長男隆元の長男輝元が11歳で,毛利家の家督を相続している。

 

元就の次男元春は,母方の従兄(吉川興経)の養子となり,吉川家の家督を相続し,
三男隆景は,小早川家の養子となって,その家督を相続し,いずれも,幼くして毛利家の家督を相続した甥の毛利輝元を補佐したということだから,「三本の矢の教え」は遵守されたといえよう。

 本能寺の変に際しては,明智光秀討伐のため京都に向かう秀吉に対し,次男元春が,追撃を主張したのに対し,三男隆景は,秘密裏に秀吉との和睦をすすめ,兄元春を説得して,秀吉を見送らせたという。