北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「刑事弁護が専門」とは,なんぞや?

弁護士業務には,「採算部門」と「不採算部門」とがある,
というよりも,かつて「採算部門」と「不採算部門」とがあった,
という方が今や正確かもしれない。

私は,平成元年度の司法試験に合格し,2年の司法修習を経て,
平成4年に弁護士登録した。
平成年間を30年とした場合,
平成の前半(2~15年)に培(つちか)った司法修習を含むキャリアによって,
実務感覚を身につけた世代である。

われわれの世代で,「不採算部門」といえば,(勿論,例外はあるが)

まず最初に思い浮かべるのが,
多くの場合,多くの報酬を望めない,刑事弁護と,離婚事件であった。

「刑事弁護を専門的に扱う」弁護士は,勿論,われわれが弁護士登録した当時にもいた。
しかしながら,我々の世代で「刑事弁護を専門的に扱う」弁護士といった場合,
その殆どは,弁護士業務全体の約90%は民事事件に精力を注いでいたのであって,
法律事務所の維持費は専らその「民事事件の」報酬や,顧問料で稼ぎ,
せいぜい残る10%の時間・労力を刑事弁護―多くは国選事件―に費やす,
(―多くはボランティア精神のもと―)というのが一般的な刑事弁護の受任形態あった。
 したがって,司法研修所の「刑事弁護の教官」であっても,企業弁護を主に取り扱う
「バリバリの民事専門」でもある,というのが通常であった。

 もっとも,国選弁護では,今も昔も報酬が安く,それだけで食っていこうと思えば,
相当数の事件・案件を,相当効率的にこなす必要があった。
(それでも,弁護士費用が安い分,平成前半期は,受任希望者は少なく,
 「刑事弁護で食おう。」と思う弁護士がその気になれば,
 生活費・事務所経費の調達のために必要な件数を受任できるだけの,
 刑事事件の「需要」はあった。弁護士の数が少なかったということもあった。)
 そして,例外的に刑事事件ばかりを扱う弁護士といえば,
 民事弁護の依頼のない一匹狼的な「ヤメ検」(元検察官)又は「ヤメ判」(元刑事裁判官)か,
「極道の弁護士」(暴力団組織お抱えの弁護士)と相場が決まっていた。
 極道・暴力団がのさばっていた時代は,
 例えば,その「お抱え弁護士」は,極道が逮捕・勾留されれば,
 即座に,留置場に接見に出向き,自白させたうえで,
 「オレが検事と話しをつけてやる」とかなんとか称して,結構な着手金を受け取り,
 起訴後に「保釈」が得らば,その時点で相当額の報酬をとり,そして,
 執行猶予をとりつければ,保釈金の2,3割の報酬をとる
(例えば,保釈金3000万円に対し,600万円の報酬をとる!)といった具合に
 ボロ儲けしていたわけだ。なお,私は,ボランティアとしての国選事件を除き,極道の弁護を受任したことはない。

 ところが,「司法改革」の名のもとに,
 新たな法曹養成制度(法科大学院での履修を中核に据える養成制度)が始まり,
新司法試験制度のもとに,われわれの世代とは異質な法曹養成課程を経てきた,
新世代の弁護士が弁護士登録を開始するようになると,
従来の(われわれの世代の弁護士の)前記「常識」からは
およそ考えもつかない事態が生ずるに至った。

文字通り「刑事弁護専門」を名乗る弁護士が登場するようになったのだ。

当初は,にわかに信じがたい現象であったが,
「刑事弁護専門」を名乗る弁護士・法律事務所は,確かに存在したし,今も存在する。
ただ,今では,弁護士会の広告規制のからみで,「刑事弁護専門」等,
特定分野の「専門」を名乗ることは望ましくないとされている関係で,
ストレートに「刑事弁護専門」を名乗ることはできないにしても,
「刑事弁護に強い弁護士」とか,「刑事事件に強い弁護士」とかを標榜し,
事務所の収益業務の中核に「刑事弁護」を据える弁護士もめずらしくはないようだ。

 

何故,このような現象が起こるのか?

  非常に皮肉な言い方であるが,
 それだけ「弁護士の質」が落ちたか,
 弁護士として,最低限の生活水準を維持するために,
 刑事弁護「専門」を標榜することで,他の弁護士・法律事務所との差別化を図り,
 刑事国選弁護からの「低額収入」であっても,それに依存せざるを得ない,
 「プロレタリアート」的弁護士(「マチ弁」ともいう。)が叢生したからであろう。

このような「皮肉」を言うと,必ずや刑事弁護を中核として精力的な活動をしている
新人弁護士からの反発がくるであろう。「弁護士の質」が落ちたとは何事だ!!?と。

 もちろん,私とて,
刑事弁護を中核として精力的な活動をしている若手弁護士を敵に回してまでして,
彼・彼女らの知識と,発展途上の経験,そして刑事実務に関する専門性に対し,
否定的な評価をするつもりなど毛頭ない。
 しかしながら,いわしてもらえば,刑事弁護「専門」などというのはありえない。
 それは刑事弁護の「素人」がいうことだ。
 真の刑事弁護は民事実務にも精通していないと,到底職責をまっとうできないからだ。
例えば,刑の軽減のために,被害弁償が必要である場合には,
民事的な交渉能力が必要となる場合もあろうし,被疑者・被告人の更生のために,
生活の再建,債務の整理が必要な場合(生活苦を原因とする財産犯罪等),破産手続を進める
など,倒産法の知識が必要となる場合もある。換言すれば,真に刑事弁護人としての職責
を果たそうとすれば,民事実務にもバランス良く精通していることが不可欠だ。
 ところが,刑事弁護「専門」としてのみ,キャリアを積んだ新人弁護士の場合,
はたして本来の刑事弁護人に求められる,民事実務に精通したキャリアを培うことができるのか? 疑問なしとしないであろう。
 
 それにいわしてもらえば,
刑事弁護に精通せずとも,「民事弁護で食える」レベルの弁護士は,
刑事弁護に比べ,相対的に報酬が高く,効率的に事務所経費を稼ぐことが可能な
民事弁護実務の専門化を図る。
もちろん,「民事弁護よりも刑事弁護の方がやりがいがある。」
「刑事弁護の方が面白い。」という弁護士もいるだろう。
しかしながら,だからといって,刑事弁護に「特化」する必然性などない。
「民事」「刑事」の両刀使いでいいはずだ。
それにもかからず,刑事弁護に「特化」するというのは,はっきり言わしてもらえば,
「特化」せざるを得ないということであって,その分「民事」の実務能力は相対的に低下する。
そして,「民事」実務能力の低い弁護士というのは,当然のことながら,えてして
結局のところ,「刑事」実務能力も低い,ということになるのは必定だ。

 また,えん罪事件(完全な無罪を主張する事件)は,極々例外である。
刑事弁護といえば,圧倒的多数は自白事件(犯人が犯罪を認めている事件)であり,
被疑者・被告人の情状弁護(少しでも罪を軽くする弁護活動),もしくは,
起訴前弁護(被害者と早期示談により,不起訴・起訴猶予を狙う弁護活動)が中心である。
経済的・社会的に恵まれた地位にある人物は,犯罪に手をそめることは通常ない。
被疑者・被告人の大半は生活破綻者・経済破綻者の類で,弁護士を雇えるような経済的余裕
のある者は少ない。そうであるからこそ,法テラスや,国選弁護制度のお世話になる。
このため,弁護士報酬は当初から低く抑えられる。
また,私選弁護であっても,「刑事弁護に強い」「刑事事件に強い」を標榜する弁護士
が多数競合することで,自ずと弁護士報酬の相場も形成されよう。
 したがって,刑事弁護の分野は,今も昔も「不採算部門」であることに変わりがない。

 それにもかかわらず,「専門」性を強調し,刑事弁護に特化する弁護士が輩出してくる
その背景には,既に指摘したように,「専門」「強さ」を強調することによって
他の弁護士との「差別化」を図ること,つまり,収入源として,
非効率的な稼ぎしか期待できず,採算性が乏しくても,「仕事がないよりはマシだ」という
感覚のもとに,低収入の「ザ・刑事弁護人」に甘んじようという弁護士が大量にでてきた,
ということになる。

 ここにも,民事弁護の需要不足,弁護士の供給過剰,弁護人の経済基盤の沈下等,
総じて,「司法改革の弊害」という,弁護士の「職業としての」悲惨な現状
を読み取ることができよう。

 

最後に。
どうして,かつては,刑事弁護に情熱を傾けてきた私が,
「刑事弁護専門」を標榜する弁護士・法律事務所を貶めるようなことをブログに書くのか。

第1の理由は,もちろん「司法改革」に対する批判・アンチテーゼである。
そして,
第2の理由は,最近,「刑事事件の被害者参加制度」を利用して,
刑事事件の被害者の代理人として,久しぶりに刑事裁判の法廷に出向いたことがあったが,
その際,被告人についていた刑事弁護人が,
「刑事弁護専門」を標榜する法律事務所の弁護士であった。
そして,その弁護士の弁護方針・弁護活動が,
私の感覚からすれば,明らかに「弁護過誤」に等しい,お粗末な内容で,
「案の定」の結末になり,当該被告人というよりは,
服役することになった被告人の「家族」に対し,痛く同情することがあったからだ。
(これも,「司法改革の弊害」に思える。)