北口雅章法律事務所

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初期仏教と死刑廃止論

すべての者は,暴力に怯(おび)える。
 すべての者は,死を恐れる。
 自分に引き比べて殺してはならぬ。
 人をして殺させてはならぬ。
  ―Dhammapada;法句経129

このDhammapada(仏陀の言説を集めた経典)によれば,
初期仏教では,死刑反対の立場が表明されている。

あるとき,ひとりの比丘(女性の僧侶)が,処刑場に出向いて,行刑者に「受刑者を苦しめてはならない。一撃で殺せ。」と言ったがために,その行刑者は,そのとおりに一撃で受刑者の命を奪ってしまった。
これに対し,仏陀は,彼女の教団追放を命じたという。
たとえ死刑を教唆しても,重罪に問われたのだ。

その根拠は,「自分に引き比べて」,つまり,自分が殺される立場にたった場合は,他人を殺すことなどできないはずだ,という仏教的なヒューマニズムの精神に基づく。また,仏陀は,「武器を取らない者こそ,聖職者なのだ。」(スッタ・ニパーダ629,630)とも述べているので,日本国憲法9条や,ガンジーの思想と同じく,徹底した不戦主義をとる。

そして,

あるとき,一人の男が,親戚の家で手足を切られて,瀕死の状態にあって,親戚の者たちに囲まれていた。ある比丘が,親族に向かって,「あなたがたは,彼の死を願っていますか。」と問うたところ,「そうです。わたしたちの望むところです。」と答えたので,「それならば,タッカ(takka 酪;牛乳のうわずみ)を飲ませたらいいでしょう。」と勧めた。

そこで,親戚の者が,瀕死の男にタッカを飲ませたので,彼は死んだ。
比丘は心に悔やんだが,このことが仏陀に知れて,「比丘よ。汝は婆羅夷罪を犯したのだ。」と宣告された。

仏教においては,安楽死も認められていないのだ。
ここには,徹底した生命尊重主義の精神が示されている。

<参照>宮坂宥勝著「暮らしのなかの仏教箴言集」(ちくま学芸文庫)

昨年,愛知県弁護士会内で,「死刑廃止論」をめぐって議論があり,
結局,「死刑廃止論」を採用する会長声明が採択された。
仏教的ヒューマニズムの観点からすれば,理解できなくはないが,
その一方で,根強い「死刑肯定論」がある以上,この少数意見を無視して,
「弁護士会」としての「統一見解」のごとくに特定の「思想」を宣言するのは,いかがなものか,と思う。