北口雅章法律事務所

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奥飛騨・小萱(神岡町)における円空の事跡

円空は、奥飛騨・神岡で、いくつかの事跡を遺しているが、神岡町の中では、最も南側に位置する「小萱(こがや)」においては、「小萱(こがや)」の地名を含む和歌が二首と、白山神社にて三駆の新仏像、薬師堂にて二駆の薬師如来を造顕している。

円空が「小萱(こがや)」で詠んだとされる和歌二首は、いずれも難解であるが、私の解釈は次のとおり。

鳥の子の 小萱(こがや)薬師を作(る)らん 十二支どもの神ぞかた(堅)けれ

(原文)鳥の子の子かや薬師作らん十二子共のかミそかたけれ九七四

[分析]「鳥の子の」という発句は、「子がや(小萱)」の「子」に掛かる枕詞であるとともに、「鳥(=迦楼羅)」が「神」の縁語になっている。「十二支」は十二神将のことで、薬師如来の眷属である。薬師如来が、本来、日光菩薩・月光菩薩を脇侍として薬師三尊像を構成し、眷属として十二神将像を従えることは仏教の通例であるが、円空も同様の理解であったことは、薬王寺(埼玉県大宮市)の円空仏郡(下掲)の構成からも解る。

が、薬師三尊(主尊・日光菩薩・月光菩薩)、が十二神将

[大意(解釈)]小萱の地で、薬師如来像を作ろう。十二神将も一緒に作っておけば、この小萱の地での仏法護持は万全だ。

 

小萱野(こがやの)の新田(あらた)の野辺(のべ)の花なれや これぞ御法(みのり)の初(はじめ)なりけり
(原文)こかやのゝ新田の野への花なれや是ソ御法の初成けり[六五三]

[分析]「御法(みのり)」の語は、「仏法(護法)」と「穣(みの)り」とが掛詞になっているように思われる。
[大意]小萱の地で、新田が開発されました。野原では、野花が咲いています。小萱野の新田は、野辺の花のように、根付き始めた仏法に護られて、豊かな穣(収穫)をもたらしてくれることでしょう。
[解釈]「小萱野」と「野辺」の二カ所に「野」が読み込まれ、助詞の「の」を含めると「の」が五文字となる。つまり、「野(の)」が強調されている。元来、「野」とは、比較的平坦な地形ではあるが、小高い場所にあるため、水がかりが悪く、特に水田開発に適さない土地と考えられてきた(足利健亮「地図から読む歴史」講談社学術文庫二〇五頁)。水田開発に適さない小萱の「野」ではあったが、円空の像仏・祈願が奏功して、新田開発を進めることができたことへの慶びを詠んだものと考えられる。

 

一方、小萱の白山神社に遺された、三駆の新仏像は、

下掲の善女龍王・護法神(迦楼羅)・稲荷

善女龍王(左)は、雨乞い等「水がかり」を助成する神仏であり、迦楼羅様の護法神と稲荷は、円空流の修験道において、祈祷に登場してくるワンセットの異形である。これら新仏像のセッティングは、上掲二つ目の和歌に係る私の理解が間違いではないことを裏付けているように思われる。

 

他方、小萱の薬師堂に遺された薬師如来2駆は、下掲の尊像。

この小萱の地で造顕された薬師如来が、前掲最初の方の和歌に詠み込まれた薬師に対応すると考えられることは、既に棚橋一晃氏の「奇僧円空」でも指摘されている。