北口雅章法律事務所

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「10浪の末に叶えた夢」を蹴った?

 

 

「10浪の末に叶えた夢」を「“蹴った”ワケ」というが、意味が分からない。
カレが「10浪の末に叶えた夢」とは、東大理1の入学だという。

 

 

 

 

なんで、「9浪の末に早稲田大学合格」の話が出てくるのか? も、わけがわからなかったが、どうやら、上掲・前置きは、筆者(自称「教育ジャーナリスト」)の自験例だった(どーでもいい、前置きが長ったらしいのは、最近のネット記事の特徴)

 

それで、東大理1に「10浪の末」に合格したカレが、「10浪の末に叶えた夢」を「“蹴った”ワケ」は、何だったのか?と、興味津々、読んでいくと、…その理由が「既に社会人になっていたこと」、「過去のコンプレックスを払拭できたからだと?

 

 

 

 

 

ってことは、
「10浪の末に叶えた夢」とは、「東大理1の入学ではなく、正確には、
「10浪の末に叶えた夢」とは、「東大理1の合格」だったというのであって、論点がスリカエられている。

 

カレにとっては、東大に向けた目標は、当初から「入学ではなく、「合格」自体にあった、というのである。
だったら、正確には、カレにおいては、「10浪の末に」「夢(=東大合格)」が叶ったというべきであって、「10浪の末に」「夢(=東大合格)」を“蹴った”とはいわない。

 

「東大に入らずとも、受験で得た成功体験」が、「人生を明るいものにしてくれた」というが、「東大に入っても」「成功体験を受験で得ても」「人生が明るくならなかった」、かえって「人生が暗くなった」人間(東大卒業生)はゴマンといる(と思う)。

 

こんな記事を書くレベルだからこそ、9浪するのさ。

 

上記引用の記事に載せられていた、この赤門はクリアーに撮れてますね。