北口雅章法律事務所

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「典型的な冤罪事件」が検証されないワケ

先般(2024年8月21日)、「布川事件の再審開始決定理由を読んで(覚書)」と題して、再審無罪となった「布川事件」のことを紹介した。

布川事件の再審開始決定理由を読んで(覚書) | 弁護士ブログ | 名古屋で医療過誤のご相談は 北口雅章法律事務所 (kitaguchilaw.jp)参照

今回のブログは、その続編であるが、「日本の刑事手続・刑事裁判がいかに腐っていたのか(今も腐っている?)」について、解説しておきたい。

「布川事件」で再審開始決定の判断をなされた、聡明な刑事裁判官らが「誰か」は存じ上げないが(何故か公刊物で紹介されていない。)、検察官からの即時抗告を棄却したのが、門野博裁判長が率いる東京高裁第4刑事部であったことは、前回のブログで紹介した。

ところで、門野判事は、その後、裁判官を定年退職されて、法政大学法科大学院の教授に天下りされて、教鞭をとられてみえたようであるが、この間に、「裁判員災難」じゃなかった、「裁判員裁判への架け橋 刑事裁判への架け橋 刑事裁判ノート」と題して、ご自身の実務経験等を語り、ご自身の判決例・決定例等を数多く紹介されている。

そして、この著書の中で、「布川事件」のことにも言及されている。

曰く「布川事件は、大変ショッキングな事件でした。……。私はこの事件は典型的な冤罪事件であったと思ってますが、どうして、このような事態が生じたのか、しっかりと検証して、二度とこのようなことがないようにしなければならないと考えます。足利事件では自己検証を行った検察庁は、なぜか早々と、この布川事件については検証しないことを決めたようですが、誠に残念としか言いようがありません。」と。

 

ところが、門野元判事は、布川事件が、何故に「大変ショッキングな事件」にして、「典型的な冤罪事件」といえるのか?について、本音を述べているようには思えない。むしろ、冤罪を生み(膿)出した原因の中核的な部分については、黙して語られておられないように思う。「足利事件では自己検証を行った」検察庁が、「何故に」布川事件について自己検証をしようとしないのか?その理由を推察することもなく、沈黙を守っている。

 

上記のことを門野元判事が正直に語らないのは、裁判官として「布川事件」に携わったからなのかもしれないが、一般素人の方にも分かるように、正直に説明しないのは、やはり不誠実というべきではないか。

 

「布川事件」について、以下で指摘することは、いずれも「厳然たる客観的事実」を基礎に置いている

第1に、「布川事件」は、A・B2名の共犯による強盗殺人事件であるところ、この有罪認定が、「無実=無罪」と判明・確定した、ということは、警察官らが、「A・Bが強盗殺人の真犯人だ」と一方的に決めつけて誤信し、「具体的かつ詳細なデタラメ事実」を警察独自のストーリーを思い描きつつ、(証拠を)ねつ造すべく、彼らに自白を強要したということになる。

第2に、A・B2名の共犯事件であるにもかかわらず、A・Bは冤罪=未体験の事実を具体的かつ詳細に語るよう強要されたのであるから、当然のことながら、相互間の供述が噛み合わず、随所に矛盾が生ずるに至ることは必定である。実際、A・Bの各供述内容(自白の内容)は、それぞれ目まぐるしく変転・変遷し、自己矛盾が随所に認められ、A・B間でも、到底無視できない矛盾が随所に認められていたことは、門野裁判長の決定書で指摘されているところである。余程のアホでない限り、担当検察官が、そのようなA・Bの語る自白・供述に内在する矛盾に気がつかないわけがない。実際、主任検事は、A・Bの取調べにおいて、主任検事は、矛盾が目立たないように、A・Bの自白供述を誘導している(と、門野決定で説示されている。)。つまり、冤罪を作り出した大元は、警察組織の捜査結果を盲信し、A・Bに対し、誤った誘導のもと著しく不合理な自白をさせ、「上書き調書」を重ねて作出(証拠の捏造)した検察官らで構成される検察組織であると批判せざるを得ない。

そして、第3に、上述のように捜査機関がねつ造したと断定して差し支えない冤罪事件に裁判所は、いったいどのように関わったのか? 門野決定を読めば明らかなとおり、A・Bが再審無罪となったのは、「第二次」再審請求手続においてである。つまり、無実=無辜のA・B(但し、別件で相対的に軽微な犯罪をしている)について、捜査機関の証拠関係の矛盾・破綻・不合理が見抜けず、有罪判決の下した「凡庸な」裁判官の数を数えると、確定1審3名+確定2審3名+主任最高裁調査官1名+主任最高裁判事1名+「第一次」再審請求審1審3名+即時抗告審3名+主任最高裁調査官1名+主任最高裁判事1名を合計すると、実に合計16名もの裁判官が、愕然とさせるレベルの、「盲目的な凡庸さ」だったと、批判せざるを得ないことになる。

これほど「ショッキング」なことがあろうか。

検察庁が、「布川事件」について、「自己検証」を行えば、上記の日本刑事裁判の実態を明らかにせざるを得ないであろう。私自身は、検察庁なんて所詮、このようなものだと思っている。それを見抜けなかった裁判所・裁判官の方こそ、「自己検証」を必要とする存在ではないであろうか。だが、門野元判事は、このような慄然とする事実を目の当たりにしながら、オブラートに包み、黙して語らない。

ところが、私は、如上の「客観的な事実」をもとに、日本刑事司法の「恥部」を暴露した上で、正直に「腐っている」と、主観的な評価を加えるので、検察官からはもとより、刑事裁判官からも嫌われるのだ。