弁護士のブログBlog
中日新聞とは、感覚が合わない
- 2025-12-07
喫茶店で、今朝の中日新聞を手に取ると、論説委員と自身の「政治感覚」の違いに、驚愕してしまった。
看板コラムの「中日春秋」の冒頭
「絶えず目を光らせていなければ、悪さをしかねない怪物」というのは、国家の行政府(省庁)であろう。そして、その「怪物を見張らせることにした」とあるので、空想上の国家監督機関でも登場するのかな?と思いきや、その数「465人」=「衆議院の総定数」ときた。

「強い権限を持つ国家行政を監視するという役割を考えれば、衆議院議員は村人を守る『番人』なのだ」という行になると、もはや失笑を禁じ得ない。このコラム論者は、『議員内閣制の本質』や、現在の国賊・売国奴議員が跋扈する実情を理解した上で、論じているのか?と首をかしげざるを得ない。
「結論が出なければ自動的に1割削減が確定」するとは、確かに「乱暴」といえなくはない。だが、「結論が出なければ」、「削減を見送る」というのも、本末転倒であり、それよりは格段にマトモである。
国会議員=「行政を見張る番人」という発想自体が、非現実的な噴飯もの。
国会議員=「国民が選んだ代表者」で、「国民の声」というが、その国会議員が「公約を守らない」と公言し、審議に際して眠りこけるのはいかがなものか。
「ウナギの子」の「グロテスクな小咄」との関連は、意味不明。