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円空「袈裟山千光寺百首」その2

円空が詠んだ、「袈裟山千光寺百首」の冒頭3首に続く和歌は、古今和歌集からの「本歌取り」が多い。

 

[4]「梅花匂う春べはけさの山 夕べの風に吹きおこすらん

[現代語訳(逐語訳)]
梅の花が香り高く咲く春が、ここ袈裟山にも訪れている。夕方に吹く風が(その梅の香りを)吹き起こす(鮮やかに、漂わせる)であろう。
[意訳]千光寺のある袈裟山にも、梅の香る春がやってきた。朝の清々しい空気の中で感じた春の息吹が、夕暮れの風に乗ってさらに深く、山全体を包み込むように広がっていくようだ。

[本歌:古今集・巻一・春歌上39]
梅の花 にほふ春べは くらぶ山 闇に越ゆれど しるくぞありける(紀貫之)
・「くらぶ山」:「鞍馬山」(京都市左京区)と「暗し」の掛詞
・「しるくぞありける」:顕著であった。
[本歌の現代語訳(逐語訳)]
梅の花が美しく咲く春の頃は、名前からして暗いくらぶ山を闇夜に越えても、高い香りから梅が咲いていることがはっきりと分かる。

[観賞]紀貫之(本歌)が、暗闇の「くら(暗)」と「鞍馬山」を掛けて、「暗くても香りでわかる」と詠んだのに対し、円空は、「袈裟山(けさざん)」と、時間の「今朝(けさ)」を掛けている。貫之の歌が「視覚(闇)」と「嗅覚(香り)」の対比であるのに対し、円空の歌は、「朝(けさ)」と「夕べ」という時間の流れ、そして「風」という体感へと情景をスライドさせている。「吹きおこす」という言葉には、単に風が吹くというだけでなく、眠っていたものを目覚めさせる、つまり、「仏法を奮い起こす」といった、僧侶としての感懐が込められている可能性がある。貫之の優雅な興趣を、円空は「山の息吹」として、よりダイナミックに読み替えたと言える。

 

[5]我世こ(わがせこ)がふりそまされるけさの雨 緑にかかる野への色かも

[現代語訳(逐語訳)]親愛なるあなたが(春の雨を)降らせ、染め上げられたこの「けさ(今朝・袈裟)」の雨よ。(その雨によって)野辺の色が、いっそう鮮やかな緑に染まって掛かっていることだなあ。
[意訳]私が敬う神仏(自然)が、今朝、降らせてくれた、この袈裟山(けさざん)の雨。この朝の雨に濡れることで、野山の緑は、美しい衣を掛けたかのように色濃く輝いている。

[本歌:古今集・巻一・春歌上25]
わがせこが衣春雨(ころもはるさめ)降るごとに 野辺の緑ぞ色まさりける(紀貫之)
・「わがせこが衣」:衣を「張る」を同音の「春」に掛けて、「春雨」に連なる序詞。
*冬着は、春に洗い張り(着物を一度バラバラに解いて反物の状態に戻し、水洗いする日本の伝統的なメンテナンス方法)をし、夏に仕立て直しをする。
・「せこが」:「せこ」は、女性から男性に対する愛称。「」は所有格。
[本歌の現代語訳(逐語訳)]
冬が過ぎて、今しも夫の冬着の洗い張りをする春となった。時々春雨が降る、そのたび毎に、野辺の緑が、よりいっそう鮮やかな緑色となる。

[観賞] 本歌では、「春雨」に、衣を「張る(洗濯後に整える)」を掛けていたのに対し、円空は、「今朝の雨」に、「袈裟(けさ)」(僧衣)と、「袈裟山」(礼拝の場、又は修行の場)とを掛けることにより、自然現象としての雨が、宗教的な情景へと昇華されている。本歌では、女性が夫や恋人を呼ぶ親愛の情を込めた言葉として、「わがせこ(我が背子)」が使われているのに対し、円空は、雨を降らせる仏神(大自然)への親しみが表現されており、自然と一体となって修行する円空の信仰心が読み取れる。自然現象の雨(本歌)の方は、日々の自然の営為が詠まれているのに対し、円空の方は、仏神(大自然)のダイナミックな躍動感のある営為として、「ふりそまされる」の言葉に、「ふりそ(染)まされる」(=緑色に染まる)、「ふりそ(降りてぞ)ま(増)される」(=緑色が濃く・深くなる)、という二つの意味が読み込まれているのではないか。これまた、スケールの大きな一首である。

 

[6]けさの山 花の鏡となる木を ちりかかるをや曇(くもる)というらん

[現代語訳(逐語訳)]
けさ(袈裟・今朝)」の山では、美しく満開で「花の鏡」となっている木があるが、その花が散りかかっているのを(その鏡の表面を覆っているのを)、人は「曇り」と言うのであろうか
[意訳]
袈裟山の桜(又は梅)の木は、春の輝きを映し出す鏡のようだ。満開の花が風に舞い、木全体を包み込むように散りかかる様子は、まるで鏡が曇ったかのようにも見える。人々はそれを「曇り」と言うかもしれないが、それはこの山に遍満する神仏の輝きなのだ。

[本歌:古今集・巻一・春歌上44]
年をへて 花のかがみと なる水は ちりかかるをや 曇るといふらむ(伊勢)

[本歌の現代語訳(逐語訳)]
(鏡は、塵が積もって曇るというが)毎年毎年、桜の花を映す水鏡(水面)に、落下した花びらが散りかかり、水面が花びらで覆われることを、曇るというのであろうか。

[観賞]
平安貴族の女性(伊勢)の美意識が、荒行をこなす男性・修験僧(円空)の美学に転換されている。
対象(視座)の転換:<本歌>「水(池)」=水平面を見下ろす静的自然
 →<円空>「木(山)」向き合い、取り組む(又は垂直に見上げる)動的な自然。
② 時間の転換:<本歌>「年をへて」=長い歳月の積み重ね
 →<円空>「けさ(今朝)の山」=瞬間的。
「鏡」の転換:<本歌>優雅に風景(花)を映し出す鏡
 →<円空>山全体=神、仏性の展開、信仰の対象。