北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

石川義夫裁判官(元東京高裁部総括)の回顧録から

先般,このブログで,法曹関係者の必読文献として,
岩瀬達哉著「裁判官も人である」(講談社)を紹介した。

この本の中身は,

「第一章 視えない統制」(注1)
「第二章 原発をめぐる攻防」(注2)
「第三章 萎縮する若手たち」
「第四章 人事評価という支配」
「第五章 権力の中枢・最高裁事務総局」
「第六章 『平賀書簡問題』の衝撃」・・・

等々の標題からも窺い知れるとおり,
「現実の裁判所は,国民の側に立つことよりも国の統治権行使の一機関として,公権力の利益を優先しているのではないか」という疑問を抱いたジャーナリストが,多くの元裁判官らに取材して,「常々感じていた裁判への疑問」を,「理不尽がまかり通る裁判所の権力構造」に着眼して解き明かす名著である。
私自身,かねてより,この問題に関心をもっているので,法曹界の史実の面では(例えば,「平賀書簡問題」,「宮本康昭裁判官再任拒否事件」等),特に目新しいものはなかったが,今まで断片的な知識として頭にあったものが,「生の人間」としての裁判官の語り口として伝えられる取材結果に加え,詳細な文献的考察を加えたジャーナリストの「報道」のお陰で,もやもやしていた頭の中が多少とも整理されてきたような気がする。

(注1)「第一章 視えない統制」という標題は,正確ではなく,実は「目に視える」ほど露骨な最高裁事務総局の「統制」が正しい。
(注2)「第二章 原発をめぐる攻防」では,立ち読み段階で,「樋口英明裁判長」の名前を目にしたので,おそらく福井地裁の大飯原発・差止め訴訟のことが扱われるのであろうと思って,読み進めると,案の定,原発差止めを認める決定をくだした樋口判事が名古屋家裁に左遷されたこと,樋口判事らに替わって,福井地裁に「招集」された,最高裁事務総局の局付判事補経験者ら(林潤裁判長,山口敦士・右陪席,中村修輔・左陪席)は,あっさりと樋口判事の決定を覆し,国策に迎合する原発容認決定をくだした経緯が扱われていた。林潤氏に至っては,『ダンシング裁判官』と揶揄されるほどの「ヒップ・ホップ・ダンス」好きであるために「最高裁事務総局からの」顰蹙をかい,出世が停滞していたところで,福井地裁に異同・招集されたことに含まれる「最高裁事務総局の意」を「忖度」して,上記決定に至ったのであろう,という著者の分析鋭く,われわれ法曹関係者のみならず国民は怒っていい,と思う。

さて,前置きが長くなってしまったが,
私は,著者の岩瀬達哉さんは,わが国の司法の歴史を,なかなかよくご存知だなぁと関心して,読後,本書末尾に掲記された「参考文献」の数々を一覧したところ,
石川義夫『思い出すまま』れんが書房新社 2006年
が目に止まった。

 

たとえ法曹関係者といえども,
この石川義夫『思い出すまま』(絶版)を一目見ただけで,
これを買って読もうと思い立つ読者は,殆どいまい。

が,私が,読んでみようと思い立った動機は,
実は,石川義夫さんは,私が最も尊敬する亡中村治朗・元最高裁判事が,
東京高裁の部総括裁判官をされていたとき,その右陪席として,
中村コートを支えてみえた裁判官であることを承知しているからだ。
中村治朗最高裁判事は,日本国憲法下の歴代最高裁判事のうちでも,
理論的にも,実務バランス感覚的にも,最も優れた裁判官であられたことは疑う余地がないと思われる(中村判事が民事畑が中心であるのに対し,同判事と双璧をなす,刑事畑での歴代最高峰の最高裁判事といえば,横井大三判事ということになろう。)

かくて,上記「参考文献」から石川義夫『思い出すまま』をみるや,
ひょっとして,「中村コート」に関する「こぼれ話」が紹介されているかもしれない,という「嗅覚」が働いた。
そして,上記石川義夫本を手にとると,期待に違わず,
「流石(さすが)中村治朗さん!」というエピソードが書かれてあった。

曰く「事件の処理に当たって中村さんはこの上なく慎重だった。しかし口先での合議をしないで,必ず自分の意見を書面にして陪席に見せ,陪席がそれに対してまた自分の意見を書面にして出すと,更に中村さんが書面で意見を言われる。そのようにして事件によっては延々と書面合議が続く。陪席がその合議に基づいて認めた判決案を提出すると,中村さんの手にかかって,原型を止めないほどに修正されるのだった。そのようにして出来上がった判決は大変に説得力があるとの評判があったのである。」と。

私のこのブログは,今の,名古屋高裁の判事ら,およそ説得力を欠く,非常識かつ理不尽な判決を平気で書く方々に,読んでもらいたいものだ。

ちなみに,もう一つ,面白いエピソードが書かれてあった。
年末の忘年会で,「酒癖の悪い年配書記官」が,
酔っ払って目が据わった状態で,
中村さんに向かって,「裁判長,裁判て何ですか?」と問いかけたところ,
中村さんはただちに「裁判は常識だよ」と答えたらしい。
次いで,この書記官は,
著者(石川さん)に向かって「裁判って何だ?」と聞いたので,
著者(石川さん)は「裁判は論理です」と言った。
ところが,翌日,中村さんが考え込んだ様子で,著者(石川さん)に,
「石川君,裁判はやっぱり論理だね」と言われた,というのだ。
著者自身,そのときのことを「無性に嬉しかったことは否定出来ない。」
と述懐されているが,天にも昇るような気持ちであったであろうことは,想像に難くない。