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ミケランジェロの彫刻にみる両義性(ambivalence)

天才彫刻家の作品は,やはり奧が深い。

上掲彫刻は,ミケランジェロが,ユリウス二世(ローマ法王)の遺志を受けて,
「最後の審判」の完成後に,亡法王の墓廟(ぼびょう)にて製作した,
モーゼの墓碑である。
威厳に満ちたモーゼの表情をもって,亡法王の威厳を表現したかにみえる。
が,ミケランジェロの隠された意図は,ミケランジェロを寵愛した亡法王を
失ったことに対する自身の「哀しみ」と「悲しみ」を表現したかったに違いない。
そのような作者の意図を忖度するには,当該彫刻の左側面を観察する必要がある。

確かに,モーセの左側面は,ぐっと「悲しみをこらえたような表情」が
浮かび上がってくる(木下長宏著「ミケランジェロ」105頁以下)。

もう一つ,ミケランジェロの奧の深い作品が「ロンダニーニのピエタ」。


一見すると,「マリアがイエスを抱いている」ようにもみえるし,
「イエスがマリアを背負っている」ようにもみえ,両義的な解釈が可能な作品。

がしかし,木下元教授(横浜国立大学)の解釈は,2人が一体となって,
一つの大きな羽根のように飛翔しようとしている状態,すなわち,
「昇天(アセンション)」の類い稀な形象化ではないか,とみる(前掲221頁)。

 なかなかの炯眼であるが,「ロンダニーニのピエタ」には,
もう一つの着眼点がある。

それは,木下元教授も指摘してみえるように,
マリアの頭部の左側面に,もう一つの顔の一部が仮面のように付いていることだ。
当初,マリアの顔面が左方の上空を仰いでいる姿に彫ろうとしたミケランジェロが,
途中で方針を変更して,現在の顔の位置にした,というのが木下元教授の見解だし,そのような見解が一般的だ。

が,しかし,もしそうなら,元の「仮面」の残す必要性などないことにはならないか。

 私は,むしろ,左の「仮面」は,
(イエスに寄り添うマリアのみならず,それと同時に)
「昇天」の目指す方向(左上方の虚空)を見つめるマリアとを
二面的に描出することで,
「昇天」への躍動感を表現したように思えてならない。