北口雅章法律事務所

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安倍に読ませたい 「ペリリュー ― 楽園のゲルニカ ―」

本ブログでは,武田一義氏の漫画
「ペリリュー ― 楽園のゲルニカ ―」を紹介します。


劇画タッチという程ではありませんが,
「玉砕の島」「ペリリュー島」での「戦況」をリアルに描いた,
秀逸な作品だと思いました。 「日本漫画家協会賞【優秀賞】受賞」に輝いた
という朝日新聞の記事を目にしたのが,読んだ動機でしたが。

太平洋戦争における「玉砕の島」と聞けば,多くの日本人は,
①「ガタルカナル島」,②「硫黄島」,及び③「アッツ島」を思い浮かべる。
「ガタルカナル島」は一木支隊・川口支隊が全滅するなど約2万の日本兵が
戦死し,何ら戦果なしに敗退した激戦地として有名であり,
「硫黄島」は,名将・栗林忠道中将が指揮をとり,アメリカが攻勢に転じた,
ミッドウェー海戦の敗北以降,米軍の損害が日本軍の損害を上回った唯一の戦場
として知られる。また,
「アッツ島の玉砕」は,太平洋戦争において,
初めて日本国民に日本軍の敗北が発表された戦いとして知られるが,
むしろ,藤田嗣治画伯のリアルな描写で有名である。

これに対し, 「ペリリュー島」の方は,マイナーであり,
極一部の日本人にしか知られていなかったのではないだろうか。
戦後70年という節目の年(平成27年4月)に,天皇皇后両陛下が,
「玉砕の島」ペリリュー島に,日米戦死者の慰霊と,慰霊碑・墓地の清掃管理
遺骨の収集等に尽力してくださったパラオ国民への謝意・表敬を目的として,
訪問されるまでは。


私も,文藝春秋 2015.6月号に掲載された,川島裕・前侍従長の随行・手記を読むまでは,ペリリュー島のことを意識したことはなかった。漫画作者・武田一義氏が,ペリリュー島のことを知ったのも,
私と同様の時機だったようだ。

 

 

 

 

 

ペリリュー島は,パラオ諸島南部の小さな島(南北約9キロ,東西約3キロ)であるが,
米軍が,フィリピンを奪還するには,
同島の飛行場から無補給の爆撃機で,フィリピン攻撃ができるという意味で,
軍事的には要衝であったようだ。

物語は,「えーっ?,なんじゃそりゃ」から始まる。

「僕はね。もー死ぬ覚悟は出来ているんだ。でもね…」
「同じ死ぬなら勇敢に戦って立派に死にたいんだ 親父みたいに」
と殊勝な決意を語る戦友。
その戦友は,わずか6ページ後に…。

なんだかこの結末が,物語全体の伏線(ふくせん)となっているような・・・

司令官の大佐

なかなか有能そうだ。

が,その司令部は,その後,どうなるか・・・

玉砕直前の司令部

飛び交うハエ,ハエ,ハエと,ゴ・ゴ・ゴ・ゴ・・・・
「ゴ・ゴ・ゴ・ゴ・・・・」というのは,戦車の地響きの音だ。


何故,司令部にハエが飛び交っているのか??・・・読んでのお楽しみ。
司令官の最期は?・・・読んでのお楽しみ。

この漫画の「売り」は,何といっても,きちんと史実を調査した上でのリアリズムであろう。軍国主義思想のもとでは,全滅を「玉砕」といい,戦死を「散華」というなど,とかく死は美化され,その悲惨さが隠蔽されがちである。戦争の残酷さ・悲惨さに目を背けず,読者をして,史実に沿って,相当程度の臨場感をもって,激戦場における実情を追体験させるところに本漫画の秀逸さが際立つ。

 

例えば,「爆死」とは,どのようなものか?

兵士らは,食糧難の中,どのようにして飢餓と闘ったか?


一見すると,貴重な蛋白源で,食べられそうなものだが,・・・
・・・何匹も捕まえていくと・・・・

ペリリュー島に送られた日本兵の大半は,20代前半の若年兵だったようだ。
「ペリリュー島の戦闘を生き延び,終戦を信じずペリリュー島の密林の中で潜伏し,
昭和22年4月に説得により米軍に帰順した守備隊兵で
陸軍軍曹だった永井さん(93歳)と海軍上等兵だった土田さん(95歳)
からも,(両陛下は)御所でお話をお聞きになった。」
「御懇談の最後に永井さんは,自分は戦闘を任務とする兵隊であったが,…
やはり戦争はやってはいけませんと語り,皇后さまは,
御所の長い廊下を歩み去る高齢の2人をいつまでも見送っておられた。」
とのこと(前掲・川島手記)。

実体験として戦争を語ることのできる「生き証人」の超高齢化が進むばかり。

彼らの言に耳を傾けるべきは「アベ」であろう。
武田氏の前掲・漫画は,立憲主義を無視する

「アベ」氏のような独裁的軍国主義者に読んでもらいたい

秀作です。