北口雅章法律事務所

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「徒労感あふれる」 刑事手続

「勾留理由開示」請求したとて,
―弁護人らの「やった感」(自己満足感)はともかく―,
裁判所の勾留決定が覆される見込がないことは自明であろう。

「鑑定留置」による「精神鑑定」までしなくても,
「精神能力」があるに決まっていることは自明であろう。
それでも,検察官が,「精神鑑定」をするのは,
近時の弁護人・弁護士らは,「なりふりかまわず」「やった感」を出すために,
刑事公判では,「限定責任能力」を主張している可能性がゼロではないので,
「念には念を入れて」予防線を張っておきたい,という思いがあるのであろうか。

(朝日新聞より)

 

そもそも本件刑事手続・裁判員裁判(刑事裁判)の本質は「儀式」であり,
「死刑になるに決まっている」ことを承知のうえでも「儀式」を進めざるを得ない,といった
「徒労感あふれる」刑事手続の一環であることを「日本国民」は承知している。
極悪人にも,「適正手続(due process )」(憲法31条)は保障されているからだ。
ここが「近隣国」と違うところ。

「徒労感」に耐えつつ,忍耐強く,「アホらしい」と思っても粛々と進めるのが刑事手続本来のあるべき姿だが,近頃,違和感をもつのは,その手続に携わる法曹関係者の中には,「徒労感」を必ずしももたず,もっぱら「やった感」(自己満足感)のために手続をやっているのではないか疑われるようなケースに出くわすことだ(例えば,被告人本人が刑事責任能力を認め,かつ,被害者の心情・国民感情・状況的にも刑事責任能力を争う余地が全くない「明白な思想偏向」にもかかわらず,刑事責任能力を争うなど,いかがなものかと思う。)。