北口雅章法律事務所

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可憐な木彫りだが,円空(ENKU)仏とは,・・・

六本木・国立新美術館にて,
開催中の「今昔アート」展の写真が週刊誌のグラビアにでていた。
が,現代アートの木彫りと,円空仏とでは,
背景・理念が全く異なるので,やはりミスマッチだな。

棚田幸司作《つづら折りの少女》:『週刊新潮(7月4日号)』より>

 

可憐な少女の木彫りのバックに置かれた円空仏は,
いずれも千光寺(岐阜県高山市)所蔵・円空作「護法神」
貞享2年(1685年)頃の作品だと思われる。

(『飛騨の円空』図録所収)

千光寺の円空仏群は,晩年(54歳)の傑作が多い。
延宝4年(1676年)の時点で,円空は,龍泉寺(名古屋市守山区)にて,馬頭観音像の脇侍として天照皇太神を造顕しているが(下掲写真・左側),この像容と同じく,上掲「護法神」はいずれも胸の前に両手でを持っている。

一般に護法神は,円空の自刻像と考えられるので,上記像容から,
円空は,千光寺での仏像造顕の時期,既に自身の「神」性を自覚していたものと考えられる。

ちなみに,桂峯寺(岐阜県高山市)所蔵の円空作「今上皇帝像」によれば,
この造顕当時(元禄3年=1690年)は,
「天皇陛下=神(!)」という民間信仰があったもよう。

(桂峯寺蔵「今上皇帝像」『飛騨の円空』図録所収)

それにしても,円空の世界観における『神仏習合』は独特だ。