北口雅章法律事務所

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まっ赤に染まった「朝日新聞・社説」を読んで

終戦の日の昨日(令和2年8月15日),
4閣僚が,靖国神社を参拝したことについて,
今朝の朝日新聞の社説(8月16日)は,
A:日本が過去の過ちを忘れ
 B:戦前の歴史を正当化しようとしている
 と受け止められても当然だ。と断定した。

はたしてそうか?

朝日新聞の論者(以下「朝日論者」という。)は,
閣僚の靖国参拝から,日本の「過去の過ち」の忘失(A)と,
戦前の歴史の正当化(B)という「非難されるべき」思想
が帰結されるという。
しかしながら,靖国参拝を慣行した各閣僚は,いずれも,
「戦争犠牲者の追悼・慰霊」を目的とした行動である,
と主張しており,このような至極当然の信条・心情に基づく行動から,
上記A・Bの思想的行動が帰結されるものではない。
このことは,「論理的に」みても明らかなことだ。

一方,各閣僚の上記弁明を一方的に否定する朝日論者は,
その根拠として,三つの事情を摘示している。具体的には,
靖国神社が「軍国主義を支えた国家神道の中心的施設」であること
閣僚(参拝者)が「現在の政治的指導者」であること
靖国神社には,「A級戦犯」が合祀されていること,
以上三つの事情である。

 しかしながら,上記①はいかにも朝日新聞らしいステレオタイプ的思想であって,戦勝国から洗脳された自虐史観にもとづくものであり,軽薄なレッテル貼りに過ぎない。もとより史実に基づくものともいえない。日本は,決して,軍国主義的な帝国主義・膨張路線によって短絡的に真珠湾攻撃に至ったわけではないことは自明の理であるし(加藤陽子「それでも,日本人は『戦争』を選んだ」),戦争犠牲者らの多く(あるいは殆ど)が「軍国主義」思想の持ち主であったわけではないし,「国家神道」の信奉者であったわけでもない。

 上記②の参拝者・閣僚が「現在の政治的指導者」であることは,彼・彼女らの行動が社会的影響力を持ちうるという面では,一私人の行動と同列に扱えないことは,朝日新聞論者の指摘するとおりであるが,その反面,彼・彼女らを「国民の代表者」として選任したのは国民であるから,彼・彼女ら社会活動(「靖国参拝」も含む。)が,民主的正当性をもつという面も否定できない。結局,上記②の根拠は,閣僚の靖国参拝を否定する根拠にはなりえない。

 上記③の「A級戦犯」が合祀されていることをもって,閣僚の靖国参拝を批判することは妥当性を欠く。「A級戦犯」という用語・用法を使うといった朝日論者の態度自体が,東京裁判の正当性について,誤った認識をもっているものと帰結される。戦勝国が,事実を著しく歪曲して,罪刑法定主義に反して演出した,国際条約違反の裁判に何らの正当性もないことは明らかであろう(例えば,戦勝国に属した一部人間が「南京大虐殺」などという事実を捏造して,松井石根・陸軍大将[愛知県出身]を貶め,「A級戦犯」に仕立てたことは明らかである[朝日論者には,さしずめ阿羅健一著「謎解き『南京事件』―東京裁判の証言を検証する」の精読をお薦めする])。朝日論者のごとき「左巻き」の方には,パル判事(インド代表)の無罪意見書をきちんと読んでから,社説を書くことをお薦めする

朝日論者においては,
「今こそ,歴史に向き合う必要がある」といわれるのであれば,
アンタこそ,「朝日新聞社の」栄えある「歴史に向き合う必要がある。」
具体的には,
朝日新聞こそが,
戦前は,
華々しく「軍国主義」を「唱道」して,
国民を戦争に向かって煽動した事実(歴史),
戦後も,
華々しく,「国賊」「うそつき男(吉田清治)」の妄言を妄信して,
「従軍慰安婦虚報」をまきちらし,
日本国民全体に『国辱』をもたらした
「過去(朝日新聞の歴史)」を振り返り,
「神妙に」反省したらどうなんだ!!

 

(SAPIO 2014.9月号より)

おい,今頃(1993年)なんだ???