北口雅章法律事務所

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京都駅の最寄りに 意外な “名所” が・・・

今日(令和2年8月19日)の京都出張。
目的地は,京都駅から歩いてでも行ける場所にあったが,
炎天下のため自重して徒歩行きは止め,京都駅で近鉄(各駅停車)に乗り換え,
京都駅からわずか一駅目の「東寺」駅を降りると,
立派な五重塔が目に入る。
まさか?と一瞬思ったら,やっぱり駅名どおり「東寺」だった。
真言宗の総本山だ!!
いつか,東寺にある「立体曼荼羅」を見たいと思っていたが,
先入観とは恐ろしいもので,
当の東寺(とうじ)は,高野山の近くにあるものと勝手に思い込んでいたので,
まさか京都駅からこんなに近い場所にあるとは思ってもみなかった。

(東寺・南東から五重塔と南大門を撮す)

 

(東寺・南大門)

 

(目的地の屋上から展望した,東寺全景)

所用を足した後,現地の知人の案内で,東寺に立ち寄ることに。
東寺の東側から自動車で入ることができ,講堂の寺院の北側に駐車場がある。

下掲・地図の赤色星印の辺りに入り口がある。

五重塔の周囲を巡回した後,
金堂→講堂の順で,参詣し,一旦,入り口に戻った後,
入り口の北側にある,観智院へ。

(上掲地図は,東寺のHPから)。

 

この五重塔は5代目で(雷火・不審火等で4回焼失)、寛永21年(1644年),第3代将軍・徳川家光の寄進で建てられた,とのことである(それでも,建物も「国宝」に指定されている。)。五重塔の内部には,仏舎利が奉納されているとのことであるが,初代の五重塔の焼失と同時に,仏舎利も烏有(うゆう)に帰したものと推察される(「仏舎利が5代目」なんてなことはありえないもんね。だからこそ,真の仏舎利は,日本には,愛知県の覚王山日泰寺にしか存在しないのさ。)。
この五重塔にも,「邪鬼」がいた。

 

金堂の本尊は薬師如来だ。

(金堂の案内版と,東側の入り口)

何故,金堂の本尊が薬師如来なのか?

素人の臆測であるが,東寺は,別名「教王護国寺」と呼ばれ,当時の国政の理念が「鎮護国家」にあるものとされていたように,疫病・災厄からの受難回避,特に天皇・皇族方の病気快癒に向けた「祈祷」こそが,真言密教の使命とされていたものと考えられる。したがって,天皇の病気平癒の祈願・祈祷のために薬師如来を本尊とすることは,理にかなっている。

 

(講堂の案内図)

金堂の中心には,上記のとおり薬師如来が据えられているのに対し,東寺講堂が大日如来を中核とする立体曼荼羅で構成される,ということは,この講堂こそが,各僧侶の修行の場,すなわち即身成仏に向けた「三密」修行(真言読経・印契等)が日々行われる「道場」としての役割をはたしていたことが示されているように思われる。

 

(講談社「国宝の旅」より)

講堂には大日如来を中心に「立体曼荼羅」が配置されている。
空海が「五体の明王」の中核に据えた不動明王は,国宝だ(上掲写真)。

 

観智院は,東寺の子院とのことであるが,かつて剣豪・宮本武蔵が,本院に身を隠していたらしく,武蔵が描いたとされる「鷲の図」を観覧できる。

(観智院の中庭)