北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

『成仏理論』の致命的欠陥

大失敗に終わった「司法改革」の弁護士・大量増員政策
弁護士の数だけが倍増していき,その反面,弁護士の質・レベルが著しく低下した。
かくて,ボロボロになって消え去っていった全国の法科大学院も数知れない。

元日弁連会長・中坊公平氏の「デマ」(「二割司法」)に踊らされ,
弁護士・大量増員政策を支えた,欺瞞的「イデオロギー」こそが,
いわゆる『成仏理論』だ。
提唱者は,高橋宏志(名誉)教授(東京大学法学部・民事訴訟法)。
法学雑誌『法学教室』巻頭言で提唱され,一躍有名になった。

平成14年ころだったか,弁護士・大量増員政策(司法試験合格者を年間500名から3000名に増員する!)が閣議決定で採用され, 弁護士業務の需給バランスが崩れ,いわゆる『食えない弁護士』が大量に輩出されることが予想されたのを受けて,司法改革(弁護士・大量増員政策)を容認する立場から提唱された。

曰く私の知り合いの医師が言ったことがある世の中の人々のお役に立つ仕事をしている限り,世の中の人々の方が自分達を飢えさせることをしない,と。人々の役に立つ仕事をしていれば,人間,まずはそれでよいではないか。その上に人々から感謝されることがあるのであれば,人間,喜んで成仏できるというものであろう。」と。

この「イデオロギー」の何処が欺瞞的であり,何処に誤りがあるか?

 

私の知り合いの医師が言った」とされる,「世の中の人々のお役に立つ仕事をしている限り,世の中の人々の方が自分達を飢えさせることをしない」という部分が,およそ「浮世離れ」しており非現実的だ

最近読んで感動した本(いずれ,このブログでも紹介する。)に,
新家猷佑(にいのみゆうすけ)著『元禄時代の世情譚』(中日新聞社)がある。
元禄時代の名古屋城下・市街で発生した事件・事故を,一部史実にもとづいて,当時のジャーナリスト(「聞き書き屋」)描いた物語であるが,この第十話「名裁き」に,
貧しい名医(町医者)の一人娘が自害したが,危うく一命をとりとめ,自害に至る経緯を取り調べた名古屋町奉行所から,報償金が下された,という涙涙の話が出てくる。

診療費・薬代を払えない貧乏人たちが診察に訪れてきても,その“赤ヒゲ先生”(若山玄昌先生)は,診察の上,薬を処方するが,患者・家族が「お代は?」と,聞くと,「お金が入った時でいいよ。」,ってな調子だから,金が入らない。当然,町医者の評判や,人の良さに付け込んで,診療代金を踏み倒す輩・金持ちも出てくる。したがって,薬問屋への薬の仕入債務はたまるばかりで,薬問屋に薬の仕入れ(掛け売り)を頼みに出向いた名医・若山医師の娘が,あるとき現金なき薬の仕入れを断られ,父のために薬を調達できなかったことに責任を感じて自殺未遂事件を起こす,といった話だ。
金に無頓着な町医者は,家族の生活苦にも無頓着だ。

 

医師・弁護士が,その職能を発揮すること(特に,経済的な不安を抱くことなく,国家・行政権力と対峙し,採算を度外視した社会正義のための訴訟活動を遂行するため)には,経済的な自立が必要不可欠だ。
これが,いわゆる『経済的自立論』である。
この『経済的自立論』からの,高橋名誉教授の『成仏理論』に対する批判は,かつて,「司法改革」を名目とした,弁護士資格の大量増員(必然的に司法試験のレベル低下をもたらす上,弁護士の判定した経済的基盤が失われ,弁護士の金儲け主義・商業主義が横行し,様々な弊害をもたらす。)に反対した弁護士らから,何度も唱えられた。

もっとも,『成仏理論』に対抗する批判論として, 「経済的自立論」では,所詮,弁護士の「エゴイズムだ」(新規参入者の制限による少数弁護士の市場寡占等)という反論に対し,世論を説き伏せ,納得させるだけの説得力をもちえなかった。

しかしながら,

『町医者』的な弁護士(われわれ『町弁』)からすれば
高橋名誉教授の『成仏理論』には,なお重大かつ致命的な欠陥がある。

それは,なるほど,「世の中の人々のお役に立つ仕事」をしている限り,「世の中の人々の方が自分達を飢えさせることをしない」かもしれない。それなりの弁護技術を身に付け,細々と地道に,弁護士業を続けることで,最低限の暮らしを維持すること,家族を養っていくことはできるかもしれない。

しかしながら,

その程度の『マチ弁』の収入では次世代の人権派弁護士を育成することは絶対にできない

私は,司法改革開始まもなくの時期,ある女性弁護士を雇用して,私の後継を育成しようと思ったことがあった。しかしながら,雇用1年目で,蓄えは潰え,2年目からは,被用者である彼女の「固定給」の方が,雇用主である私の「不定期給を集計した年収」を上回るようになり,約3年で,私の方から他の事務所への転職を願いでる,有様だった。

あるいは,法科大学院教授に就任されていた,知り合いの弁護士から,「法科大学院の愛弟子を,私の事務所で弁護士として雇用して欲しい。」と頼み込まれたことがある。それも,1回だけではない。が,そのような経済的な余裕などなかったので,いずれの就職希望も,お断りした。うち約1名は,「先生の事務所で,『無給でいいから,弁護技術を学ばせて欲しい。』と申しているので,先生の事務所の事件を素材として,何とか指導してやってもらえないか。」と,知人の法科大学院教授(先輩弁護士)から直々に頼まれたが,「弁護士が『無給』なんてのは,私の信条として,ありえません。」といって,泣く泣く雇用を辞退したこともある。

要は,経済的な余裕がないと,われわれ貧乏弁護士(特に『マチ弁』)では,「イソ弁」を雇って,次世代の弁護士を育成することができない。ちなみに,一般論として,前記・若山医師のごとく,腕のいい弁護士は,往々にして,金に無頓着であり,収入に結びつかない事件でも,正義のためには受任することも少なくない。
一方,法科大学院の教育プロセスで,「次世代の弁護士」が育成できるか? そんなことができるわけがないことは,社会の現実が証明していよう(森雅子氏も名を連ねている)

 

※この()ときの森雅子氏(現・法務大臣は,どこへ消えたのか??

 

『思考力のレベルが低下した』法務大臣から,

『思考力のレベルが低下した』と言われた方々のレベルは,推して知るべしであろう。