北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「京の水」

 名古屋市東区内の「東片端」という交差点の東北角に昔ながらの本屋さん「正文館」がある。小学校時代から出入りしているこの本屋(事務所の近所)で,平積みされていた新家猷佑(にいのみゆうすけ)著「元禄時代の世情譚」(中日新聞)を買って読んでみたところ,やはり面白かった。

 先日読んだ,宮部みゆき著『きたきた捕物帖』も,江戸時代の町方の人情モノで面白かったが,「元禄時代の世情譚」の方は,地元名古屋の地図と,馴染みの町名・道路が随所に出てくる関係で,土地勘の働く私としては,格別な味わいがあった。なかば史実に基づき(畳奉行・朝日重章の日記『鸚鵡籠中記』が典拠となっている),江戸時代の風俗・身分関係・人情も興味深いが,人間の本質・本性を考える上でも,大変参考になる。

 是非,ブログ読者にも読んで欲しいが,
 実は,先週,京都に出張した際,この本を新幹線の中で読んでいたところ,第三話「京の水」と題する「噺(はなし)」で,京都(「上方」)の「花魁(おいらん)」(島原の遊女)に憧れて,上京し,「京の水」にドップリつかった(教養を積んだ)ところで,なくなく郷里に呼び戻された商家(弓屋)の娘(「ふり」)が,その後,元武士の商家・跡取りと恋仲に陥ったが,親に反対され,元禄6年(1693年)6月9日「養念寺」東区飯田町;浄土真宗大谷派)の池に飛び込み,「心中」するという悲しい物語に出くわした。そのとき残された各々の辞世の歌が,実に見事で(掛詞がでてくる。),女の方が一旦は救出されるが,その最期の死に様が涙を誘う。
 一方,同じく京都に憧れたが,「京の水」が合わなかったためか,郷里(「針屋町」=現在の中区錦三丁目)に戻ってきた商家(具足屋)の一人娘(「いよ」)が,代官(上級武士)の次男に一目惚れし,恋煩い(煩悶)が原因でやせ衰えていくなか,その父親が,元禄14年(1701年)10月,思い詰めた娘を見るに見かねて,代官と直談判して,(身分制度をものともせず)結婚を成立させ,武家の次男を婿養子に迎えるという,アクロバット的な離れ業をなす,泣き笑いのサクセスストーリー第七話「天の配剤」)が出てきて,上記第三話と好対照となっている。

 第三話の「ふり」第七話の「いよ」,いずれも「京」にあこがれて一旦郷里を離れ,ふたたび郷里(名古屋城下町)にもどった二人の女性について,「明暗」が別れた理由・原因・背景を考えていくと,人間社会の本質が示されているように思われた。

 「元禄時代の世情譚」の冒頭に載せられている「名古屋城下図」にあるとおり,名古屋城の南側を南北に敷かれた道路が「通(とおり)」と呼ばれ,東西に敷かれた道路が「筋(すじ)」と呼ばれる。

 そして,名古屋城の外堀に面した一番北の筋が「片端筋」の東側(地図上で赤色①付近)が,現在の東片端で,「元禄時代の世情譚」を購入した本屋さん「正文館」がある場所だ。その交差点から,さらに東にいった最初の「信号の交差点」が,「飯田町」の交差点で,この付近(赤色②)に,上掲第三話に登場する「養念寺」(商家の娘「ふり」が心中場所に選んだお寺)があったらしい(ちなみに,当事務所の所在地は,「片端筋」の一本北側の筋で,江戸時代は「京町筋」と呼ばれていたようだが,今は,「京町通」という。)。上掲第七話に登場する商家の娘「いよ」の実家があった「針屋町」(現在の中区錦三丁目)は,地図上に表記があり(赤色③),現在は,名古屋の繁華街(飲み屋街)で「三密」警戒指定区域だ。
 ちなみに,名古屋地裁(愛知県名古屋市中区三の丸1-4-1)は,上掲地図上では,外堀の内側(「J」付近)にある。