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円空仏(ENKU)入門10「円空の口から出た『珠玉の言葉』」

美しいの言葉のことを,「珠玉の言葉」という。
梅原猛先生によると,
円空は,自身の口から出る言葉を「玉の言葉」であると,
「自画自賛」(?)しているかの和歌があるという(『歓喜する円空』320頁)。

世ニ伝ふ 歓喜ふ(よろこぶ)神ハ 我なりや
 口より出る(いずる) のかつかつ(数々)(729)

[大意]私は「歓喜する神」であるから,私の口からは,玉のような美しい言葉がほとばしり出るのだ。

作りおく 心の神の 形ならぬ
 世ニうつくしき 玉の言(こと)のは(485)

[大意]私の心の内なる神を造顕しようとして,仏像を彫っている
 それと同じく,私の和歌は,内なる神の言葉であるから,美しいのさ

これら,円空の和歌に出てくる「玉」については,
先のブログで紹介した若森説によれば,「仏」と理解する余地があるので,
神の言葉だから美しいのではなく,言葉=「口密」=真言だから美しいのではないか,
つまり,真言=「陀羅尼」を礼讃した歌ではないか? とも思ったが,
ここは,やはり,梅原説の方が正しいようだ。

弘法大師・空海の性霊集・巻第一のなかの
「良相公に贈る詩一首」のなかに
忽然(こつねん)として開けば玉のごとくに振ふ

という一節が出てくる([大意](良相公から)突然いただいたお手紙を開くと,玉のような見事な文だ)。この注釈によると,「玉のごとくに振ふ」という言葉は,『孟子』万章下に出典があり,のちに詩文の美しさの喩えとして用いられるようになった,
とのこと(弘法大師・空海全集・第6巻187頁)。

このように,日本人は,古来,美しい言葉を「玉」に喩えてきたらしい。
だからこそ,「珠の言葉」という慣用句が形成され,
他人の原稿を敬うときに使う「稿」という言葉が形成されたのであろう。

「玉」という言葉・物体には,輝くイメージがある。
このことは,古今東西,人類に共通するイメージらしい。
ラテン語の諺にも,「美とは輝きなり(Pulchrum splendor est.)」がある。