北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

芭蕉が 詠んだ「立石寺」

芭蕉は,元禄3年(1689年)5月27日,
『おくのほそ道』の旅の途上,
立石寺(りっしゃくじ,山形県)を訪れ,詠んだ。

 

(しずか)さや岩にしみ入(いる)蝉の声

 

立石寺は,急峻な岩山に建てられた山寺である。

(宮田雅之の切り絵)

誰もが中学までに習う名句ではあるが,
わかったようで,わからない句である。
この句を正確に理解している日本人,
句の趣旨を正確に学生に教えられる教員は,
いったい,いかほどいるであろうか。
学習指導要綱には,注釈は書かれていまい。

閑さや岩にしみ入蝉の声

[大意]は,
「やかましく泣き続ける蝉の声が,まるで岩に吸収されてしまったかのように,
この山寺では,あたりがシーンと静まりかえっている。」という意味であろう。

しかし,音響学的には,蝉の声は,鳴り止んでいるわけではない。
では,何故,蝉の声が岩に吸収されるのか?
蝉の声は,周囲に谺(こだま)するものではないのか?

大角修先生の説によると,立石寺では,板の卒塔婆が岩陰などにびっしりと立てかけられており,岩壁にも,供養塔が数多く刻まれている(「岩塔婆」と呼ばれる)ところ,
立石寺は,古来,死者の霊が戻る霊山とされていることから,実は,岩にしみ入るのは,「人の霊魂」であって,これを短命な「蝉の声」に重ね合わせたのではないか,とのこと(「日本仏教の基本経典」角川選書「おわりに」)。

このような解説を読んでも,わかったようで,わかりまへん!