北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「正木ひろし」の自問自答

「裁判のまちがっていることは,おそらく一点の疑いもないことと思う。それなのに,なぜ今日まで,その冤罪をはらすことができずにいるのか。」

との問いに対し, 正木ひろし弁護士(当時,八海事件・弁護人)は,
次のとおり著述している(昭和30年3月25日発行『裁判官』光文社)。

「結論からいうならば,一つは制度の不備,一つは民度の低いこと,
この二つに帰着するのであるが,この二つは原因となり,結果となって,不可分の一体をなしていると思う。

 それらの最終の帰結として現れてくるものは,裁判官として,検事として,警察官として,不適当な人物が公然とその職にあって,絶大なる権力をふるう余地の存するという現実である。もちろん,それをふせぐために弁護士が存在するのではないかというのであろうが,国家的背景による絶大なる財力と人力と権力とに対抗するばあい,一市民の費用でまかなう少数の弁護士の努力だけでは,あまりにも微力なのである。微力であるという意味は三つある

 第1は,経済力と肉体的な力とにおいて,とうてい太刀打ちできないということ。多少複雑な事件になると,八方に調査の手をひろげなければならないが,それにはかならず財力と人力とが必要である。・・・・

 第2は,人選である。弁護士という名は平等であるが,その適否は平等ではない。各自に得意の方面,不得意の方面がある。民事事件の大家,かならずしも法医学の常識を,十分にそなえているとはいえない。・・・

 第3に,そして,もっとも直接的であり,致命的なことは,裁判官のみに与えられている証拠判断の自由の濫用にたいし,これを制御する法律的権能を弁護士は十分にもっていないという事実である

私も,名古屋刑務所事件・革手錠事案の第二次再審請求で,
第1審棄却となり,即時抗告に対しても,今般,控訴審で棄却決定を受けた。
あとは,最高裁への特別抗告しかないが,
ようやく正味5日目にして,特別抗告理由の第1稿を書き終えた。
正木ひろしの上記著述内容は,必ずしも賛同できないが(私には経済力がなくても,本件に関しては,検察に阿(おもね)る,曲学阿世の御用学者どもの実力を格段に凌駕する,各方面の権威の方々が無償でご支援してくださっているし,その中には,当然,法医学者の協力者も複数みえる。),上記第3の「致命的なことは,裁判官のみに与えられている証拠判断の自由の濫用にたいし,これを制御する法律的権能を弁護士は十分にもっていないという事実」は,今も昔も変わらない現実として厳然と存在し,激しく同意する。