北口雅章法律事務所

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「鳥獣戯画」を学問する?

先のブログで,宮川禎一先生の著書「鳥獣戯画のヒミツ」を紹介し,この本で「日本美術史上最大の謎」が見事に解き明かされていることを紹介した。その反面で,遺憾ながら,真面目に読もうと思って,以前から購入してあった論考を読む気が失せてしまった。それが,申し訳ないが,伊藤大輔先生東京大学文学部卒,名古屋大学大学院教授)の御書「鳥獣戯画を読む」名古屋大学出版会)である(高かったのに・・・・)。

宮川先生の論述は,やや俗っぽいが,その論理性・学術性・正確性は,崩しようがないように思われる。宮川先生が,自説の正しさを確信したのは,「[第十三夜]鹿の背に乗るウサギは蘇跋陀羅である」ことに気づいたときであろう。すなわち,「鹿の背に乗るウサギ」のモチーフは,『大唐西域記』の「救生鹿本生譚」の中にあり(林の業火の中,「鹿が」犠牲となって,溺れかかった跛[びっこ]のウサギを対岸に渡して救った後,力尽きて溺死する),『大唐西域記』のその次の章に,釈迦の最後の弟子(蘇跋陀羅)の話(釈迦の入寂間際に弟子入りし,釈迦の入寂前に,先に入滅した[「火定界に入り」=焼身自殺?]という話)が出てきて,これこそ「跛[びっこ]のウサギ」の生まれ変わりだと語られている。

 

そして,この宮川説の正しさは,「川に向かって背面ジャンプするウサギ」のモチーフと,『絵因果経』の「尼連禅河から上がる苦行後の釈迦」のモチーフとが,シンメトリカル(左右対称性)な相同性を示していることに加え,先のブログでも紹介したように,「仰向けのカエル」のモチーフと,『絵因果経』の「仰向けの白象」のモチーフとが,シンメトリカル(左右対称性)な相同性を示していることによって,より強固なものとなっている。

(顔の向きが左右で逆向きであり,ベクトル=動きも,上下で正反対である。)

(倒れる向きが,左右対称になっている)

 

ちなみに,先の伊藤大輔先生は,鳥獣戯画・甲巻の研究は,「レヴィ=ストロース流の構造人類学的な地平に接近しつつあると言えるのかもしれない」(51頁)と述べておられるが,上述の「シンメトリカル(左右対称性)な相同性」は,レヴィ=ストロース流にいえば,「回転性のブリコラージュ」ではないか?(ちょっと,ブログ読者には難しいかもしれないが。)

上述のとおり,「正解」を確信してしまうと,伊藤大輔先生が,学問的観点から,いくら「『鳥獣戯画』甲巻においては,動物の要素は,大いなる自然の力という神秘的なものの代理表象なので,近代的な個としての生々しい内向性はそもそも持ち得ない。存在の個別性を超えた普遍的な自然の力を表象するために,蛙(カエル)も兎(ウサギ)も猿(サル)も特別傑出した個性も内面性も与えられず,いずれもフラットな関係の下,動物全般という概括された水準において人間との対抗軸を形成するのである。」(240頁)と書かれても,残念ながら説得力をもちえない。