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円空(Enku)の天皇信仰

円空は,江戸時代の白山信仰をもつ修験者にして,天台宗寺門派(密教)系の僧侶であったが,円空は,どうやら「天皇」をも「神」として信仰していたようだ。

周知のとおり,円空は,元禄3年(1690年),岐阜県高山市上宝町・観音堂(旧蔵)にて,天皇を神格化した「今上皇帝立像」を造顕しており,この像が,今も桂峯寺(同町内)に遺されている。

 

もっとも,その一方で,円空仏の中には,例えば,柿本人麿像や,牛頭天王(祇園精舎の守護神)のように,「円空自身が」信仰・礼拝の対象として考えていたと考えることには疑問を差し挟む余地のある神仏像もないわけではない。このことに照らすと,上掲・今上皇帝についても,観念的には,「礼拝者(一般庶民)が」信仰・礼拝の対象としていたが故に,いわば神仏像の礼拝者の「需要に合わせて」造顕した可能性もありうる。

ところが,円空が天皇を「神像」として造顕した動機は,天皇を神として信仰・礼拝する庶民・民衆が存在したからだけではなく,実は,円空自身も「天皇を神として」信仰の対象としていたフシがある。このことは,円空が詠んだ和歌を収録した「円空上人歌集」(一宮史談会叢書)の中から,天皇(=「皇(すめらぎ)」)が登場する和歌を拾って,鑑賞・読解していくと,わかる。

円空の歌集には,「袈裟山千光寺百首」があるが,面白いことに,この歌集では,最初の第1句と,最後の第百句だけに,天皇が登場する(その中間には登場しない。)。

1.皇のけさ鏡の榊葉葉に みもすそ川の御形おがまん

百.皇の星の祭りはけさ事に八万代神の来て守らん

解りにくい歌ではあるが(各歌に含む「けさ」は「今朝」と「袈裟(山)」の意が掛けてあることが多い。),前者(第1句)の方は,「天皇の象徴である榊を,鏡のごとく川の水面に投影させて,その『形』=『姿』を拝みましょう」という意味であり,明らかに天皇自体が礼拝の対象とされている。何故,「榊」が天皇の象徴といえるのか,といえば,円空が高賀神社で詠んだ歌に「皇の御形移ス大麻も千代もと振る榊はもかな」(1467番;[大意]天皇の御姿を移した立派な榊であって欲しいものだ)というものがあるからだ。

これに対し,後者(第100句)の方は,「天皇が主宰する星祭が今朝挙行されます。八百万(やおろず)の神々がやってきてお守りします。」という意味で,国家の平穏を祈るという,古来からの天皇の役割が詠まれているだけで,この句だけからは,天皇=神か否かは判然としない。

円空の歌については,その意味が判然としないものが多いことは,梅原猛先生も認めているが(「歓喜する円空」322頁),高賀神社で詠まれた,次の歌などは,円空が,天皇を神格化していたことを示すものであろう。

846.皇や神のいさミに祭らん普く照す日かけもやなし

847.皇の雲上人焼染て鷲の御嶺のけぶりくらへに
(注)「鷲の御嶺」は,霊鷲山(りょうじゅせん)のことで,お釈迦様が『法華経』を説かれたことで有名な場所である。円空の法華経信仰が示されている。

1001.皇の万代巻の神ならは五十川の清言のは
(注)「五十川」は,近江(滋賀)にこの地名があるが,円空の場合は,どうやら観念な空想上の川のようである。このことは,「袈裟山千光寺百首」の第99句で,「けさ見れは伊勢の大神の現て 五十川に宮つくりせり(今朝見ると,伊勢神宮の神様が現れて,五十川のほとりに宮殿を造られた)」と詠まれていることから窺える。