弁護士のブログBlog
先日,「江田五月」先生が死去された。
元民主党議員で,「野党から参議院議長」になられ(2007年),菅直人内閣のときの法務大臣(2011年)として知られる。が,私が江田五月先生に関心をもった理由は,江田五月先生が学生時代,学生運動に明け暮れた後,一転,司法試験を受験し,一発合格,しかも「大変優秀な」成績で合格され,将来は最高裁判事を嘱望されていた,というウワサを聞いたことにあった。にもかかわらず,亡父・江田三郎氏(日本社会党委員長代行)の急逝に伴い,裁判官を辞職して,国会議員に転職されたという。
江田五月先生が「相当に切れる秀才」との評判を聞きつけた私は,実は,弁護士に成り立ての頃,その「実情」を調査してみたことがある。具体的には,「江田五月」のキーワードで,裁判例を検索して,「江田五月」判事の判決文を全て集めて印刷し,熟読玩味したことがある。確かに,江田五月先生の頭が切れることは,判決文を読めば,その論旨の明快さ,表現の的確さに加え,結論の妥当性から納得できる。若い法曹の方々,特に裁判官の方々には,是非とも読んでもらいたいものだ。
最近の裁判官は,要件事実(骨)だけの,平板で,「味気なく,面白みもなく,教養を殆ど感じさせない」判決文しか書かなくなった(書けなくなった)が,江田五月判事の判決文には,叙事詩(?)のような味わいのあるものもある。例えば,千葉地裁昭和49年12月25日判決(判例時報782号69頁)。
妻との情交関係(「盲目的愛」)に猛進した若者に対し,夫から慰藉料請求がなされた事案で,慰謝料額の査定理由を述べた判決内容などは,若かりしときの江田五月先生の,裁判官としての,男女の心理・機微への深い洞察と,倫理観が窺える。
(故人を偲んで,「判例秘書」の検索機能を使って,その判決文の一部を引用すると,・・・)
「被告(若者)は、当初からBとの関係に罪悪感を持ったが、Bへの同情もあって、Bと性的交渉を持つまでは、ただやみくもに盲目的愛に走り、昭和四六年になってから、Bに対し何度か夫と家庭に戻ることを促した。しかし、そのころには、既にBは被告との関係の終了を望まなくなっていた(しかし、被告の清算の申立に対し、Bが自殺すると脅して関係の継続を要求した事実を認めるに足りる証拠はない。)。被告も、Bへの愛を断ち切れなかったが、前記認定のとおり、昭和四七年八月になり、被告は、清算を決意した。」
(中略)
「被告との異性関係の継続は、Bが原告に背き家庭を顧みなくなるのを助長したことはあっても、これの原因であるというべきものではない。右の助長の点については、逆に原告に対する不満と憤懣が、Bを原告と家庭から離反させ、それがBの被告に対する慕情を募らせて異性関係の継続を助長したともいいうるのであって、どちらが因でどちらが果であるかを決するに足りる証拠はない。」
(中略)
「原告は、Bの心臓疾患への影響を配慮し、Bとの性的交渉を極力抑制し、Bを慈しみ十分保護してきたのに、そのBの貞操を害され、しかもそれをBの死亡まで知らなかった点において、原告の受けた屈辱感は計り知れない。しかし、被告は、二三才のまだ異性関係の経験のない青年の時、既に結婚生活七年以上で三六才のBから誘われ、またBへの同情もあって、勢いのおもむくままBと深い関係に入ったのであり、被告に節度を期待できないわけではないが、Bに節度と思慮を期待する方が常識に合致し、Bの節度と思慮のないことを被告の責に帰することはできない。さらに、被告は、自ら進んでBとの関係を清算している。
以上の事実のほか、前記認定の各事実に照らせば、被告の本件不法行為により原告の蒙った精神的苦痛につき、原告が被告に対して求めうる慰藉料としては、金三〇〇、〇〇〇円が相当である。」
江田五月先生について,私は,確かに内心尊敬していたが,その敬意・敬慕の思いを他人に打ち明けた覚えはない。ところが,私は,何故か,一度,江田五月先生と,直に電話でお話させていただいた経験がある。
何時だったかは忘れたが,私が,いわゆる名古屋刑務所事件(冤罪!)の主任弁護人として刑務官らの刑事弁護に携わっていた頃,突然,当時衆議院議員だった河村たかし先生(現名古屋市長)から電話がかかってきたことがあった。
河村先生曰く「名古屋刑務所の刑務官らが犯罪者だという偏見を作ったは,菅直人がインチキの放水実験をやらかして,連日,テレビで喧伝・放映させたからだ。今,ワシの横に『君が尊敬する』江田五月がいるから,電話を替わる。君から,江田五月に対し,はっきりと言ってやりなさい。『民主党は,今のうちに刑務官らに謝罪しておかないと,無罪判決が出たら,すぐに民主党を訴えるぞ!!』と。江田五月に抗議しなさい。」と。
その後,(何故に河村先生が『君が尊敬する江田五月』などということを知っているのかな?といぶかしく思いつつも)江田先生に電話を替わってもらって,しばし歓談させていただいたことは覚えているが,江田五月先生と何を話したかはサッパリ忘れてしまった。(あの頃から,河村シチョーとの「クサレ縁(?)」は続いているのだ。)
国会議員になられてからの江田五月先生の政治活動には,あまり興味はなかったが,江田五月先生が,国会での各種委員会での質疑で,総理,担当大臣や,最高裁事務総局,法務省の幹部らを吊し上げているをテレビで見たり,国会議事録で読むことで,小気味よい思いをしたことが,何回かあった。
例えば,「福岡高裁判事妻ストーカー事件」(注)のとき,法務省や検察庁を糾弾したときの国家議事録を読んだときは笑った。
(注:「福岡高裁判事妻ストーカー事件」とは,2001年 福岡高裁のA判事の妻Bが,交際相手(不倫相手の)Cと,その妻Dと三角関係になり,そのDに対し,脅迫メールを送りつけたり,ストーカー行為を繰り返していたなどいう事件で,福岡地検次席のY検事が,A判事に対し,捜査情報を漏洩した,という事件)
故人を偲んで,「国会議事録検索システム」を使って,当時の議事録を探してみると,・・・・あった,あった。
五月先生曰く「最高検,法務省は御丁寧にも自分から検察全体,少なくともトップ全体が腐っていることを天下に証明してしまった,余り頭が良過ぎて常識をきれいに忘れているんじゃないか。」だってさ。
謹んで,江田五月先生のご冥福を祈ります。合掌
息子から心配のLINEが届いた・・・