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なぜ神光寺の円空作「十一面観音」は忿怒面なのか

 私は,今から丁度1年前,2020-10-04に投稿した,ブログ「円空仏(ENKU)入門10『違和感を覚える円空仏 その1』」において,神光寺(岐阜県関市下有知村)の十一面観音の顔貌が,円空には珍しく,怒った表情で描かれていることが“謎”だと述べている。

 このほど,円空学会から送られてきた『円空学会だより』季刊第201号にて,大澤祥照氏「なぜ神光寺の十一面観音は憤怒面なのか」と題する論考を投稿されていたので,早速,拝読した。

 大澤氏によると,寛文3年,尾張藩から下有知村に移住してきた喜田吉右衛門・林幽閑兄弟が,「下有知の水不足の現状」をみかねて,地元の豪農(柴山伊平)とともに私財を投じ,上流(曽代村)から農業用水を引く施設の造成計画を立て,神光寺に詣でて,願掛けをしたが,前途多難で,寛文11年には,発起人の喜田が死去し,寛文12年6月には,曽代村にて大水害が発生するなど,造成事業が難航したとのこと。そして,大澤説によれば,寛文12年6月,円空が「半在」に足跡を残していることから,「この水害(曽代村)と,曽代用水建造が頓挫してしまいそうなことを憂慮した円空は,神光寺の十一面観音をあえて,憤怒面にしたのではないか?」との所説を述べられている。
 しかしながら,私には,何故,計画が「憂慮」されると「憤怒面」になるのか(誰に対する憤怒か)?がよくわからない。大澤氏によれば,十一面観音の化仏の中の怒りの相は,悪の衆生を見ても慈悲を生じて苦を救う」,「怒りの表情で邪悪な人間を戒める」などという意味をもつとされている。しかしながら,水害の被害者は,通常,「悪の衆生」ではないし,「邪悪な人間」でもない。大澤氏は,円空が「依頼者の思いを尊重し,依頼者に寄り添った作造をしてたのではないか」と述べられているが,「憤怒面」にすることが,何故,「依頼者の思いを尊重」したことになるのか,何故,「依頼者に寄り添った」になるのかが,残念ながら,大澤氏の論考では,明確に示されていないように思われる。

 ところで,円空は,延宝2年「笙の窟」での修行を経て,志摩(三重県)に出向き,この地で大般若経の修復作業をすると同時に,扉絵を遺している。私は,かつてこの扉絵(仏画)に押捺された「朱印」の趣旨について考察したことがあるが(『円空研究』34号2020年),円空が,この扉絵を何枚も描く過程で,菩薩を描写を省略する一方で,護法神の数をも減らしていき,絵画・像仏の「簡略化」を志向するようになったことは周知の事実である。そして,円空は,その後,荒子観音寺(名古屋市中川区)にて逗留し,志摩の仏画で描かれた護法神と同様,特徴的な怒髪を持つ護法神を造顕するようになった。円空が荒子観音寺に逗留した時期は,同寺所蔵の『浄海雑記』巻三に,「両頭愛染法…延宝(寶)4(年) 乞食沙門圓空」とあるので,延宝4年のことであるから,円空が,怒髪を持つ護法神の造顕を開始するに至ったは,延宝3年頃のことと推認される。


 

そうすると,神光寺の三尊像の脇侍である「怒髪を持つ護法神」の造顕時期から,掲・十一面観音の造顕も,延宝3年頃であるとの推定が働く。

 このように,円空が,神光寺(下有知)に逗留した時期について,延宝3年頃と考えられるところ,その前年に当たる延宝2年,上掲・年表によれば,片知村(岐阜県美濃市)でも水害が発生していた,とある。したがって,円空は,大澤氏の言われるように「弥勒寺の対岸の村で行われていた曽代用水の建造」の話や,寛文12年6月に発生した曽代村の水害のみならず,延宝2年に発生した片知村の水害の惨状を聞き及ぶに至って,水害の深刻さに格別の思いを抱いたことは想像に難くない。
 「現世は,不完全,不正,苦難,罪,無常,そして,必然的に罪責を負っていて展開と分化が進むにつれてますます無意味化していくほかない分化,そうしたものにみちみちた場所」であって,「純倫理的な観点からすれば,その存在に神的な『意味』を求めようとするような宗教の要請に対しては,破壊されて無価値にひとしい姿を示すことにならざるをえない」Max. Weber 『宗教社会学論選』みすず書房159頁)。このような「片知村や曽代村の大水害の被災状況(傷跡)」という「現世の価値喪失」とともに遅々として進まない治水作業が,神光寺の三尊(忿怒面の十一面観音を含む)造顕の動機であったとすれば,その被災状況を前に,非現世的・非合理的な自覚的体験(「笙の窟」での山伏的な修法)を経た,修験僧(円空)が,いったい何を想起・想念したか? は,なお想像の域を出ず,依然として謎は残る。
 ただ,思うに,円空に所縁のある星宮神社(岐阜県美並村粥川)でも,円空は,大般若経を修復していることが知られているが,同神社で発見された円空直筆の経文・修法次第等(いわゆる星宮神社文書)の中にある,「大般若経297巻・紙背墨書サラサラ童子法」は,「山伏の間に行われていた怨霊降伏の秘法とされている(池田勇次「郡上郡の円空」『円空研究5』107頁)。
 神光寺の十一面観音の口元は,かろうじて円空仏特有の微笑をうかべているが,円空仏には珍しいあの忿怒の形相は,ひょっとして,曽代村や片知村の被災状況を目の当たりにした「山伏(円空)」が,その原因として想起し,鎮魂を祈願した「怨霊」の面であったのかもしれない。