北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「悪夢の旧司法試験・短答試験」の思い出

今朝の新聞に,大学入試センター試験の問題が出ていた。
日本史の問題で,「嵯峨天皇の系図」が出ていたので,興味本位で,「択一式試験」の試験問題をながめていると・・・,いかん!,合格に苦慮した旧司法試験・短答試験(択一式試験)の「悪夢のような記憶」がトラウマのように蘇ってくる。今も昔も変わりがないのかもしれないが,司法試験の短答試験は,とにかく他の受験者が確実に解ける問題については,1問も落とせない。「択一のプロ」と呼ばれる,択一問題をプロ級に間違えない受験生が多く,凡ミスを2,3問重ねると,倍率約7倍(当時)の択一試験がクリアーできず,論文試験を受けられず,かくて,一年を棒に振り,その間,奈落の底に沈むことになる。

 

さてさて,
大学入試センター試験に出ていた「嵯峨天皇の系図」はこれ。

問題をみると,「嵯峨天皇の子どもの名前の特徴」が問われている。
くだらない!

「和風化の影響」が認められるか,「唐風化の影響」が認められるか,って?
名前の文字の何をもって「和風化の影響」,「唐風化の影響」というのか意味がわからん。極論すれば,「漢字」なんだから,中国の影響だろうと言いたくなる。
嵯峨天皇といえば,弘法大師・空海が,嵯峨天皇の病気平癒の祈祷を行ったという知識をもっていなくても,空海・橘逸勢と並んで「三筆」と称せられた書道の名手であったことは,大抵の受験生は知っているはずで,空海=遣唐使と同時代の天皇だというのはわかる。となれば,遣唐使を派遣していた時代であり,和風化=国風化が進むのは,遣唐使の派遣をやめた894(「ハクシ(白紙)に戻す遣唐使」と覚える)よりも後の平安時代だから,「和風化の影響」の方が多分間違いだろうと考える。

 次いで,「源の姓を持つ」(c)皇子が系図にかかれているので,cは間違いとはいえない。「親王の兄弟で同じ漢字」(d)とあるが,系図を落ち着いて見れば,嵯峨天皇の皇子は「同じ良」の字がつき,淳和天皇の皇子は「同じ恒」の字がつくが,同じ字だと,何故,「皇位継承の順番が明確になった」といえるのか意味不明。
 やはり正解は,③

 

1925年~1950年生まれの,年別・男性名ベスト3が出ている。

面白そうなので,問題を読んでみると,・・・

「アメリカ・イギリスに宣戦布告」したのは,真珠湾攻撃した1941年「イクヨ・イチズニ(一途に)真珠湾」と覚えるのは常識)。その翌年から終戦の年(1945年)まで,「勝(まさる?)」が4年連続トップ。「新元号の一時を関した名前」といった場合,戦争前後は「昭和」の時代なので,「昭」の字を探すと,「1927年 昭二」とあるので,1927年が昭和2年だとわかる。わが旧名古屋弁護士会にも,かつて昭和2年生まれのK藤昭二先生がみえた。
落ち着いて臨めば,それほど難しい問題ではなさそうだ。