北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

極左暴力集団の興亡と,検察修習の一コマ

 書棚を片付けていたら,司法修習時代,O検事正(地方検察庁のトップ)から特別講義を受けたときに配布された,「極左暴力団の発生について」と題するレジュメが出てきた。O検事正は,最高検で公安関係の仕事を長くされていたとのことで,昭和46年のいわゆる浅間山荘事件[過激派の内ゲバ事件で,同志のリンチ殺人が行われた]で有名になった,極左暴力集団の勃興の契機と,彼らの活動の特徴について講義を受けた。当時,同じ実務修習先(大分)に配属された修習生はわずか4名だった。レジュメには,検察庁が当時把握していた極左暴力集団の分派が網羅されたリストがつけられている。
 司法修習で学んだことは,基本,外部には秘密であるが,特にO検事正の講義内容は,極秘中の極秘事項で,よくぞ教えてくれたなぁ・・・と思うし,当時の司法修習がいかに充実していたかが思い出される。

 昨今の状況からして,極左暴力集団は,構成員の高齢化とともに,殆ど壊滅したのではないかと思われるので(「革マル派」だの「中核派」だのという言葉を見聞しなくなくなった。),当時のレジュメを公開してもそれほど問題はないように思うが,やはり止めておこう。

 かつては,暴力革命至上主義(武装蜂起や国内戦などの暴力によらなければ,ブルジョワ階級を打倒できず,プロレタリア階級が支配権力を獲得できないという妄想)を信奉する若者らが,レーニンの「革命的情勢」(①経済恐慌等,支配階級の危機的状況,②被支配階級の欠乏・困窮の激化,③[①②による]大衆運動の活発化)を無理無理に創出しようと,短絡的に過激行動をとったが,ソ連の崩壊とともに,極左暴力集団や,その分派は,話題にものぼらなくなった。

 O検事正の講義によれば,スターリン時代のソ連では,毎日約1万人が逮捕され,毎日4000人が処刑されるといった時代が23年続いた。その反動で,「スターリンと対立したトロッキーの方が正しい」,「トロッキーこそが,正当なマルクス主義だ」という理念から,昭和32年,日本トロッキー連盟が誕生し,ここから極左暴力集団の歴史が始まるとのことで,ここが講義の前置きに相当する部分であった。今の若者たちは,「教養としての」マルクスの「共産党宣言」すらも,読んだ経験がないのではないか。

 ちなみに,トロッキーは,民族的にはユダヤ系であるが,ウクライナ出身らしい。