北口雅章法律事務所

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大伴家持は,どのような方法で鮎を捕獲して食べていたか?

ものの本(山下景子著「万葉の鳥」)によると,「この歌(後掲)からは,家持自らが鵜飼をしていたことがうかがえますね。」と書かれているので,家持自身が鵜飼をしていた,つまり「鵜匠」をしていたとでもいうのか?と思った

 

面白い解釈だなぁ・・・と思いつつも,
・・・・んな訳がないでしょう!?,山下さん。と思って,念のため,岩波に「日本古典文学大系7」を紐解くと,・・

前掲和歌と,その大意は,次のとおり。
毎年(としのは)に鮎し走らば辟田川(さきたがわ)鵜八頭(うやつ)(かず)けて川瀬尋ねむ
[大意]毎年アユが走るならば,辟田川に鵜をたくさん潜らせて,川の瀬でアユを探らせよう。

なるほど,家持自身が鵜飼をやっていたかにみえる。
だが,やはり使用人である鵜飼に指図して,アユの動静を探らせよう,と理解するのが素直であろう(山下さんも,そのような意味で「自らが」と書いているのかもしれないが・・)。

と思って,その前に出てくる長歌を読むとそのように書いてある。

あらたまの 年ゆき更(かわ)り 春されば
花のみにほふ あしひきの 山下響(とよ)
落ち激(たぎ)ち 流る辟田(さきた)の 川の瀬に
年魚(あゆ)(こ)さ走る 島つ鳥
鵜飼(うかひ)伴なへ (かがり)さし なづさひ行けば,・・・

[大意]新年になって,春がくると,花の色も美しい山の下を,音高く落ちて激流する辟田川の川の瀬に,アユの子がすいすいと走っている。鵜匠を同伴して,篝火をたいて水に浸っていくと,・・・

 

日本では,鵜飼の盛んな時期,つまり夏の季語だが,
ドイツでは,そうでもないらしい。