北口雅章法律事務所

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桜の花は,萎(しお)れないものか?

つい昨日,桜が満開になったと思いきや,早くも盛りを過ぎようとしている。
桜は,開花したと思うと,直ぐに散華する
先の戦争では,その散華の潔さを美しいと思い,これを愛でる日本人の心性を悪用して,桜が,戦死を賛美するイデオロギー・象徴として用いられ,これに同調し信じ込まされた国民が存在した反面,それに反発する国民も存在した。
 後者の典型が,詩人の石垣りん氏であり,先日の朝日新聞「折々のことば」では,二日連続で,石垣氏の言葉が紹介されていた。

 

ところで,万葉集学者である中西進先生によると,
「サクラは死に際(散り際)がいい」という多くの人々の思いは,正確ではない,という。曰く,植物は,草花の場合,「①開花 → ②落花(散華)→ ③萎れ → ④枯れる」というステップを踏むが,サクラの場合は,「①開花 → ②落花(散華)」の二段階しかない,「つまりサクラの花はしおれない」(「③萎れ」のステップがない)
「③萎れ」が「人間の死」(魂の肉体からの離脱)に相当する。
したがって,「何と,サクラは死なないのである」と(『日本人の忘れ物②』ウェッジ文庫156頁以下)。
 本来の日本人は,「サクラの花が萎れない(来年も花を咲かせる)」ように,サクラのような「永遠の命こそがめでたい」と思ってきた,というのが中西説である。

だが,はたしてそうか?

サクラの花も散り萎れる。たとえそうであっても,
「花は盛りに,月は隈なきをのみ,見るものかは」(桜の花は,満開のとき,月は,満月のときだけを賛美すべきものか),「咲きぬべきほどの梢(こずえ),散り萎(しお)れたる庭などこそ,見所多けれ」(今にも咲きそうな桜の梢や,桜の花が散って萎れ残っている庭などこそ,賛美すべき見所が多いものだ。)といったのは,吉田兼好(徒然草下巻137段)ではなかったか。