北口雅章法律事務所

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「リベラル」に不可欠の「保守の精神」

いわゆる「リベラル」は、「グローバルスタンダード=普遍的価値」を標榜して,あらゆる保守的なもの,日本固有の文化・美徳,伝統を,まるで固陋,アンシャンレジーム,あるいは,「偏狭なナショナリズム」であるかの如くに,否定的に評価し、破壊し続けてきたようにしか思えない。この結果,近頃,健全な日本人の良識、温情、品格、人間的能力が著しく衰退してしまったように思えてならない。

心底,嫌な「世の中(日本社会)」になってきたものだと考えていたところ,先日,非常に示唆に富む論考に出くわした。佐伯啓思先生(京都大学名誉教授)の「社会秩序の崩壊と凶弾」(令和4年8月27日 朝日新聞)だ。

曰く,民主的社会では,「リベラルな価値」こそが,普遍的な価値を有する。だが,今日,あらゆる局面で,「リベラルな秩序」が崩壊しつつある。ここに「リベラルな価値」とは,「民主主義」,「言論の自由」,「法の支配」,「公私の区別」,「権利の尊重」などを指し,これらの価値が相互に連結した「普遍的価値」といえる,とのこと。佐伯先生によれば,例えば,「議会においても集会においてもまともな言論は聞かれない。…。現実の暴力は批判されるのに…言葉の暴力には人々は無関心だ。」と。

何故,こうなってしまったのか。

 佐伯先生は,「保守の精神」が衰退したからだ,と喝破される。ここに「保守の精神」とは,一方で,日本の国力(経済再生,外交,安全保障)の向上であり,他方で,「われわれの社会生活の土台」であり「精神生活の核」となる,日本の「目にみえない価値」を維持し,これを頼りにして営む「日常の生」だといわれる。(私の理解では,佐伯先生のいわれる「保守の精神」は,つまるところ,「ナショナリズム(民族主義)」ではないか,と思われる。)

 そして,佐伯先生によれば,「保守の精神」において重視される「目にみえない価値」とは「人々の信頼関係,家族や地域のつながり,学校や医療,多様な組織,世代間の交流,身近なものへの配慮,死者への思い,ある種の権威に対する敬意,正義や公正の感覚,共有される道徳意識など」だといわれる。
 もとより,これらの価値は,少なくともわれわれ日本人が大切にしてきた価値であるし,「あまりに急激な変化にさらされてはならない」価値なのである。

 

ここまでは,佐伯名誉教授の論説には,痛く共感できる。

 このようなわれわれ日本人が「保守の精神」として大切にしてきた「目にみえない価値」をぶち壊してきたのが,「グローバルスタンダード」を標榜する反日・極左勢力ではなかったかと思われるからだ。

だが,佐伯名誉教授が,上記考察の帰結として,
安倍元首相・凶弾事件,すなわち「今回の奇妙で悲惨な銃撃」事件について,
「リベラルな秩序の崩壊と,その根底にある『保守の精神』の衰退と決して無関係ではないと私には思われる。」と論じられているのは,「的外れ」の感を否めない。
「安倍元首相・凶弾事件の動機」に関しては,別途,論じてみたい。