弁護士のブログBlog
「弁護士の5割が所得400万円以下」という「帯」がついた,
秋山謙一郎著「弁護士の格差」を本屋で見かけたので,
先日,遠方出張の際,往復の新幹線内で読んだ。
「本の帯」に書かれた「弁護士の5割が所得400万円以下」とみても,
特に驚かないし,もちろん,「切実な(弁護士の)低所得化」の項(76頁)を読んでも,
別に目新しいことが書いてあるわけでもなく,驚かない。
結局,業界内にどっぷり浸っている私にとっては,日常的に「肌で感じられる」ことばかりで,特に目新しいことは何も書かれていなかった。
例えば,どんなことが書かれているか?というと,・・・
「今,弁護士の1年当たりの所得《収益から必要経費を差し引いた実収入のこと》の中央値は,『約400万円』で,じつに弁護士の半数が平均的サラリーマン以下である―
2014年,国税庁が発表した『所得種類別,所得金』を分析すると出てきた結果だ。
これは今や弁護士界でもよく知られている。年収ではなく“所得”であるところ,
ここが弁護士の懐事情を如実に表しているといえよう。
…
日本弁護士連合会(日弁連)が発行する『弁護士白書2015年版』に,
その所得について行ったアンケート結果が掲載されている。これによると,
回答を寄せた3128人中,もっともその割合が高い666人が,
『年間所得200万円以上,500万円以下』と回答している。
『年間所得金額200万円以下』が466人
『0円以下』も79人いた。」
「糊口(ここう)を凌(しの)ぐ」という言葉を想起させる。
年間所得200万円以下では,「まともな暮らし」(「健康的で文化的な」生活)など成立しない。
結婚もおぼつかず,子育てもままならない。
当然のことながら,他人様(ひとさま)のための人権活動などやってられない。
このような
「弁護士の貧困化・貧窮化・窮乏化」― 極一部の例外を除く ―は,
そのまま,司法制度の活力・レベルの低下,人権救済機能の減退,政権批判能力の減衰に直結し,
「弁護士の格差社会」,弁護士稼業の商業化(弁護士の「商人化」「俗物化」)を招くことは必定であろう。
(そして,“お金持ち”の弁護士などは,昔から「儲からない」「人権活動」などやらない,市井の社会的弱者・経済的弱者とは交わらない。)
新自由主義(弱肉強食)という名の「商人」ないし「商業主義」「利益追求型」弁護士の「跋扈(ばっこ)」は,弁護士間の競争の激化(旧来型・人権派弁護士の経済基盤の侵蝕[しんしょく])という副作用をもたらすだけではない。一番問題なのは,新自由主義(弱肉強食)が,弁護士と一般市民(特に経済的弱者・社会的弱者)との関わり合いに悪影響を及ぼす(悪徳弁護士が,一般市民をカモにし,一般市民からボッタクルるといった事態をこのごろ頻繁に耳にするようなった。),ということなのだ。私は,先に「アディーレ」という名の社会現象(当該名称の事務所に代表される,「新興企業体・事務所」のスタンス)を批判したが,
現に,弁護士間の競争激化の犠牲となっているのは,ひとり経済基盤の脆弱な若手弁護士のみならず,市井の一般市民であり,多くの社会的・経済的弱者でもあるのだ。
「司法改革・推進論者」の中には,
各弁護士の「貧困化・貧窮化・窮乏化」の原因は,
各人の営業努力が足りないのだ,新しい需要・顧客の開拓を怠ったているからだ,
という意見もある。
しかしながら,「弁護士の商売道具」は,「(陳腐化の激しい)法律知識」と「法廷技術」に尽きる(しかしながら,最近は,最低限の法律知識・法廷技術すらも怪しい弁護士が増えている。われわれベテラン領域の弁護士も,法律知識については,日々更新が必要だ。)。
「法廷技術」を必ずしも必要としな「インハウス」の弁護士がいくら増えても,所詮,採用人数が限られ,少数派にとどまるのであって(少なくとも,われわれの世代の弁護士は,「組織の歯車」になるのが嫌で,民間企業に入るのが嫌で,法曹をめざしたのである。),裁判実務こそが,弁護士本来の収益の中核的要素であることは揺るがない。
顧問料等の不労所得「だけ」でくっていけるのは,極々一部の恵まれた,
「商売上手な」弁護士だけだ。
2016年の『弁護士白書』(日本弁護士連合会刊)によると,
2005年の地方裁判所での民事事件新規受任数(第1審)は13万2727件だった。
これに対し,2014年は14万2487件,2015年は14万381件
とのことであるから(本書144頁)から,
裁判事案の受任事件数は,減少傾向にあり,
決して事件数が増えているわけではない。
(そもそも,裁判官の数も,弁護士の増加に応じて増えている訳では決してない。弁護士の如くに倍増していないばかりか,むしろ,本年度の任官者は,極端に減っている。)
その一方で,弁護士の数は,「司法改革のお陰」で今も右肩あがりに増え続けている。
毎日新聞は,今年,弁護士の総数が4万人を超え,10年間で,1.5倍も増えたと
報じたが,2005年(平成17年)の総数2万人から,2018年(平成)の4万人へと,たかだか13年間で,2万人も弁護士数が倍増したと報じた方が格段にインパクトがある。
このように,弁護士数は2倍になっているのに対し,裁判件数(弁護士の収入源)が減れば,
どうなるか? 本書でも,中堅弁護士の言として,紹介されている〈145頁〉
こうなれば,
「“食えなくなる”弁護士がでるのは自明の理だ。
『少ないパイを,弁護士,皆で奪い合う―それが,今の弁護士会です』」
という「30代半ばの〈新司組〉の中堅弁護士は,こう弁護士界お実情を明かした」
注:〈新司組〉とは,新司法試験制度のもとで司法試験に合格した世代(法科大学院世代)の法曹をいう。
本書では,「お馴染み」の鈴木秀幸先生(愛知県弁護士会)と
武本夕香子先生(兵庫県弁護士会)の各「良識派」弁護士が随所で登場するので,
歴代・日弁連会長の言辞にみられる「浮き世離れ」《注》したことは書かれていない反面,
今更ながら,わが業界も,ここまで落ち込んだか,とつくづく情けなく思われ
日本司法界の将来が憂慮される。
こんなことでは,「有為の人材が,法曹界に集まらなくなる」のが必定だからだ。
《注:「浮き世離れ」した元日弁連会長・発言の典型例として,有名なのが,アトーニーズマガジン第54号に掲載された,村越日弁連前会長の「お言葉」であろう。曰く「若手は生活が苦しい、今弁護士になっても食えないというような話が当たり前のように語られますよね。それは大変だと当の若手に聞き取り調査をしても、僕の周りには、そんな弁護士はいませんという返答ばかりなんですよ(笑)。厳しい現実は否定しませんが、ネガティブ情報だけが拡大されて独り歩きしています。」 アホか! 》
このような日本の将来を憂うべき「悲惨な状況」があっても,
改革派の方が「少数葉」であり, 日弁連の執行部でさえも,
「司法改革の失敗」を認めず,その失敗を自覚しようとせず,
全く「悔い改めよう」としないのは,
正に「日本病」という他ない。
私のブログの読者の多くは,弁護士ではないかと思われるが,
一般の方にも,読んでいただいている。そこで,
一般読者に伝えておきたい,嘆かわしい弁護士業界の実情を,
さらに,本書(「弁護士の格差」)の中から紹介しておきたい。
「真の力量格差」と題して,
「弁護士の力量《格差》の拡がりで,困るのはわたしたち,ごく一般の国民だ。
司法制度改革を失敗だったとする弁護士や,『司法試験合格者減員運動』に
携わっている弁護士のグループは,試験そのものの難易度の低下により,
かつてなら試験合格も覚束なかったような人材が,弁護士バッジをつけ,
今,『司法の担い手』として〈法〉に携わっている現状を憂いている。」〈130頁〉
「関西のある私立大学で法科大学院の教授を務めるベテラン弁護士は(でさえも!),
〈新司組〉が〈旧司組〉に比して,その力が劣っているという実態を,
こう語った。
『弁護士余りが伝えられてから,余計,この傾向が加速している。
教え子たちをみると,5年前なら絶対に司法試験(新〈現行〉)に(でさえも!), 合格できなかったような子でも受かっているという現実がある』」(127頁)
「食えない資格ナンバーワン」と題して,
「弁護士には,今,2つの “バッジ” があるという。
留置場に接見にやってくる弁護士を,警察官たちは,こう区分けしているそうだ。
―〈旧司法試験組〉の先生(弁護士)は, “金バッジ” 。怖い。
だから下手な対応はしないし,できない。
でも,法科大学院出の〈新司法試験(現行司法試験)〉組の先生は
“豚バッジ” 。よほど,警察官のほうが,実務には精通している。怖くもなんともない。
同様の声は,弁護士に近い業種,司法書士界からも聞こえてきた。
―昔の〈旧司組〉なら,「金色」から「いぶし銀」へとその色が変わった。
でも,今の〈新司組〉は,ただのメッキが剥げるだけ。貫禄も何もない」(116頁)。
(注:“豚バッジ”というのは,弁護士バッジの中央にある天秤文様を豚の鼻にみたてたか?)
「…この30代若手弁護士に,『あなたは〈法律家〉ですか? それとも〈サービス業〉
ですか?』と問うてみた。
『法律家という名前のサービス業です。
サービス業,だからこそ,エンターティナーであり,投資家マインドも持っている。
公的な職業だなんて,いつの時代の話ですか? 』
…,今回88人の弁護士を取材したなかで,取材謝礼を求めてきたのは,
この30代若手弁護士と,登録1年目の弁護士の2人だけ,だった。」
こんな「エンターティナー」,「投資家マインド」を標榜して羞じない
「 “豚バッチ” 野郎」らとは,同じ括り(くくり)で,括られたくない!!