北口雅章法律事務所

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万葉集時代・日本人はノンポリだった

人もなき国もあらぬか吾妹子(わぎもこ)とたづさひゆきてたぐひておらむ」(巻4-728 大伴家持)
[現代語訳]〈他の人が誰もいない国はないかなあ。君と手を取り合って行って、二人で一緒に居たい。〉

敷島の大和(やまと)の国に 人二人 ありとし思はば何か歎かむ」(巻13-3340)
[現代語訳]〈この大和の国のなかに私の恋しい人が二人あると思うのだったら、どうして嘆くことがありましょう(かけがえのないあなたに会えないからこそ歎いているのです)〉

 

『万葉集』の人々の現実の私生活の内面を支配したものは、政治的なものでも人生に対する反省でもなく、unpolitisch〈政治に無関心な〉な、恋愛の苦しみであった。」「ここには、社会的政治的苦悩も人生に対する深刻な苦悩もない。はっきりした恋愛至上主義で、全体としてoptimistic〈楽観的〉である。

 

今日よりは 顧みなくて 大君の 醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つわれは」(巻20-4373)
[現代語訳]〈今日からは家も我が身も顧みることなく、わが大君の頑強な防護盾として、私は出征するのです〉

防人の歌をみても、「公生活はタテマエ」で、

妻子との別離を悲しむものが多い。

(さ)へなへぬ命(みこと)にあれば 愛(かな)し妹が手枕離れあやに悲しも」(巻20-4432)
[現代語訳]〈拒めない大君の命令であるから、いとしい妻の手枕を離れて来て、わけもわからないほどに悲しいことだ〉

「『万葉集』には、仏教の無常観の影響を受けた歌は極めて少ない。〈貴族に限っても仏教の教養が〉日常生活に浸透せず、政治権力の行う儀式が中心になっていたからである。内面的な苦悩は殆ど知らなかった。」

以上、「丸山真男講義録[別冊一]日本政治思想史1956/59」より