北口雅章法律事務所

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60歳男による「両親殺害事件」の原因は何か

35年間、両親の年金・預貯金に依存・寄生して、「遊び暮らし」をしてきた男性60歳(当時59歳?)が、些細なことで激高して両親(認知症の始まった父親88歳と、要介護の母親87歳)を殺害し、業務用冷蔵庫に死体を遺棄したとの事件で、このほど令和5年1月6日、福岡地裁(鈴嶋晋一裁判長)は、懲役30年の有罪判決をくだし、被告人に対し、「30年の懲役は長く、考える時間がいっぱいありますよね。お父さんとお母さんがどういった思いで育てたか、あなたと暮らしてきたか、考えてもらいたい。嫌なことから目を背けずに、逃げ回るばかりでいいのか、よく考えるようにしてください」と説諭したという(「TNC テレビ西日本」)

 

本件は、いわゆる「引きこもり」事件ではない、と思われる。

 

何故、このような事件が起こるのか?
裁判長は説諭する。「お父さんとお母さんがどういった思いで育てたか」を考えよ、と。

勿論、両親は、終始、「愛情をもって」被告人を育てたであろう。
だが、両親の養育には、遺憾ながら、決定的に欠如・不足していたことがあったように思われる。
私自身、この両親の教育方針を批判したり、否定したりする資格など全くないことは重々承知している。だが、私の考えでは、実は、やはり子ども(被告人)に対する「真の愛情」が欠けていたことが原因だ、と思う。
ここでいう「真の愛情」とは、「ライオンが、子を崖から突き落とす」がごとく、「子どもに対し『一人で生きていく力』を与えるべく、鍛え抜くこと」である

上掲・事件報道に接して、昔の教育者「大村はま」さんのことを思い出して、書棚から、彼女の著書『教えるということ』(共文社)の中の「真の愛情」と題する一節を読み返した。

曰く「…私はほんとうに職業人として徹したいものだと思います。それが教師として子どもへの愛情だと思うからです。…

…教師として子どもへの愛情というものは、とにかく子どもが私の手から離れて、一本立ちになった時に、どういうふうに人間として生きていけるかという、その一人で生きていく力をたくさん身につけられたら、それが幸せにしたことであると思いますし、つけられなかったら子どもを愛したとは言わないと思います。…

…生きぬくときの実力になっていない、単なる愛というものは、センチメンタルなものだと思います。ですから職業人として愛するということは、子どもが一人で生きぬくために、どれだけの力があったらよいか、それを鍛えぬこうとするのが、それが教師の愛情だと思いますし、ほんとに鍛えぬく実力が先生の技術だと思います。…」