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円空が和歌に詠んだ「くの目」解読のカギ?

「2023-01-29」に投稿したブログ:標題「円空が「中山」で詠んだ和歌をめぐって」において、円空上人の和歌集1271番の分析を試みた。

守らん目をしつたかの二二五六ハ
  白と墨との主(あるじ)に在(ましま)」(1270番)
渡津海や峯主中山のくの目川合の里(1271番)

 

その結果、1271番の歌と、1270番の歌とに関連があると考えられることから、1271番で詠まれた「くの目」は、双六の目を意味し、「双六で二つのサイコロ(賽)をふったら、四と五で(合計「九」の)目が出た」と理解できた。
 だが、何故、「九(四・五)」の目が「祝(いわい)」の対象となるのか?という「謎」が残った。

このように分析・解釈に行き詰まった場合は、どうするのかというと、「和歌や、江戸時代の文化に造詣の深い方に尋ねる」のが一番手っ取り早いのであるが、残念ながら、円空の和歌を研究課題にされている方を直接知っているわけでもない。そこで、自分自身の「課題」と自覚した上で、しばらく「放念」して、「啓示」(インスピレーションが湧いてくるの)を待つしかない。

私の場合、常にインスピレーションが働くわけではないが、直観が働くことがないわけでもない。上記「謎」については、まだ解明には至ってないが、ヒントになりそうな二つのことが、「直観的に」想い浮かんできたので、「備忘録」として書き止めておこう。すなわち、

「祝(いわい)」の対象となるからには、「四と五で合計九の目」が出ることは、「目出度い」ことには違いない。何故に「偶然」「九の目」が出ると「目出度い」のか?

 

考えられる理由の第1は、
一桁の数字の中では、最強の数字だということである。

 当たり前といえば、当たり前の話だが、私にとってのヒントは、新家猷佑(にいのみゆうすけ)著『元禄時代の世情譚』(中日新聞社)の中にあった。ふと、直観が働いたので、再読すると、名古屋東照宮別当(密蔵院住職)の強権ぶりを揶揄した狂歌とその解釈が紹介されている(270頁以下)。

曰く

 去年は馬 今年は輿(こし)に 
  法(のり・乗)師の三つ僧院は 来年のぶた

 この珍歌の意味を考えてみた。当時、庶民もカルタ遊び(賭博)に興じていたようだ。「ぶた」は、トランプの“おいちょかぶ(追丁株/追重迦烏)”で、めくった札の数字の合計が最も強い“9”を超え“10(0)”になったことをいう。「師」は数字の“4”を意味し、密蔵院をわざわざ「三ツ僧院」と書いたのは、数字の“3”に意味がある。この二枚で“7”。去年、今年で“2”、来年を加えると“10(0)”、つまり、最も弱い「ぶた(豚)」となるわけ。
 去年は馬、今年は輿に載った密蔵院の僧侶は、三年目の来年は豚(にしか乗れない哀れな姿)となる、と密蔵院の僧侶を揶揄した狂歌だが、密蔵院の住職は、天長山神宮寺の住職で、名古屋東照宮の別当だから、その別当を揶揄した狂歌と言えるため、祭礼の日に掲示された

・・・とのこと。追丁株(札)と双六(賽)という違いはあるが、出た目の合計が「九が最も強い」という発想は、円空が生きた元禄時代には存在していた、と考えられる。

 

「九の目」が出ると「目出度い」理由として考えられる二つ目は、
「九」の数が、「神聖な数と考えられていた可能性も否定できない、ということだ。

白川静先生(『常用字解』平凡社)によると、「九は竜(=龍神)の頭が岐(わか)れている形」で、「中国では九は神聖な数」とされていた。日本でも、「九重(ここのへ)」といえば、円空にとっては、「宮中=皇居」=“神聖な場所”を意味する。また、円空は、和歌の中で、八重九重(やえここのえ)の神の台(うてな)」という言葉も用いており(歌集345)、「八重九重の神の台」とは、「蓮台」=極楽浄土を意味する(関市洞戸円空記念館「円空和歌集」参照)。

“神聖な数字=目”が出れば、「目出度い」=「祝い」と結びつき易い。