北口雅章法律事務所

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「円空の和歌」の解読 その1

先日訪問した関市洞戸円空記念館で展示されている円空歌集の和歌について、同記念館の解説を参照しつつ、各和歌の[歌意]を読み解いているが、同記念館の解説には、必ずしも賛同できない部分がそこそこある。そこで、私見を逐次、おりをみて公表し、誤解等がもしあれば、読者からの御示教を賜りたいと思う。

●嬉しさは 何に包まん けさの袖(そで)
    かかる袂(たもと)は ゆたかなりけり

[原文]うれしさハ なにゝつゝまん けさの袖
    かかる袂は ゆたかなりけり[66]

[歌意]このはち切れそうな嬉しさを何に包もうか。袈裟(僧衣)の袖(そで)にかかる袂(袖の下の袋状のところ)で包むと、袂が嬉しさで充満して膨れ上がっているようだよ

[備考]円空記念館の解釈では、「嬉しさ」の理由について、「仏教の悟りの心境をつかんだこと」にあるとされているが、おそらく別の理由であろう。
 歌中の「けさ」は、袈裟(山)と袈裟(僧衣)と今朝(けさ)とが掛詞になっていると考えられるが、円空が千光寺逗留中にそのような重大な変化があったようには思われないからである(もし仮に上記解釈のような心境に円空が達したのであれば、かつて円空が白山神の託宣を受けた延宝7年のときのように、複数の仏像の背銘に記述されるものと想像する。)。

 

●幾度(いくたび)も耐えても立(たつ)る 三会の寺
  五十六億 末の世までも

[原文]幾度も たへても立る 三会の寺
     五十六億 末の世まても[222]

[歌意]弥勒菩薩が説法を行う寺は、何度廃れても、必ず再興されます。(釈迦入滅後)五十六億年が経過した末の世までも。
[校注]「三会」とは、「弥勒菩薩(みろくぼさつ)が釈迦の入滅後、五六億七千万年に兜率天(とそつてん)から人間界にくだって、龍華樹(りゅうげじゅ)の下で悟りをひらき、大衆のために三度、法を説く」という弥勒菩薩信仰でいうところの説法会のことを指し、「三会の寺」とは、その説法会が開かれる寺の意。

 

●硯(すずり)には 玉(たま)の御形(みかげ)の 
  絶えもせで 其(そ)の心をば 神ぞ知るらん

[原文]硯には タマノミカケノ タへもせて
 其のこゝろをは 神そしるらん[223]

[分析]難解な和歌である。「玉(たま)」、「御形(みかげ)」、「心」という円空の和歌に頻出するキーワードが揃っており、各々をどのように理解するかによって、他の和歌の解釈にも影響する。ここでは深入りを避けるが、円空の場合、「御形(みかげ)」とは、「光」=「神」そのものか(例えば、歌集559番)、又は、その具象・具現(例えば、歌集1332番、1430番等)を意味する。ここでは「硯」に関して用いられているので、「筆記された文字(=具象)」に神性が付与されている、という趣旨であろう。円空が、硯で書く文字にして、神性が付与されるものといえば、星宮神社に遺されたような陀羅尼経か、高賀神社に遺された神符(しんぷ;お守りの御札)の類いであろう。他方、「玉(たま)」は、円空の場合、美しいものの象徴・比喩に用いられることが多いが、ここでは「御形」に掛かるので「輝きのある」という趣旨であろう。「其(そ)の心」とは、円空自身の内面を指す。
 以上を前提に本和歌の[歌意]を解釈すると、次のとおりである。

[歌意]毎日毎日、硯に向かい、祈りを込めて、神符の文字を筆書している。私の墨書は、ありがたいことに絶えず神性が込められているので、輝いているのがわかる。神符の墨書も菩薩業の一環であり、このような私の心掛けも、神もお見通しであろうから、このような私の業を支えてくれているのだ。

[備考]関市洞戸円空記念館の解説も、私の理解に近い。曰く「円空の使う硯には、神さまの玉のようなすがた霊性が絶えず湧いている、つまり彼の書く文字には神性がこもっている。というのです。そしてその心は神さまのみが知っているとの意です。したがって、硯を使って書く和歌も神さまの御影であるというのでしょう。又円空の書いた、お札にも霊性が宿っているのです。」とある。
 しかしながら、「神さまの玉のようなすがた」という解釈には賛同できないし、「硯を使って書く和歌も神さまの御影である」という理解も私の理解とは異なる。また、上記解説では「その心」とは、どのような心なのかについては、言及されておらず、不明確なままである。

 ちなみに、上掲右の毛筆は、円空の自筆の和歌集で、上掲左の活字は、その翻刻本である長谷川公茂編『底本円空上人歌集』の223番の和歌である。「重箱の隅をつつく」ようで恐縮であるが、上掲左の『底本』では、「硯には」に始まり、「タマミカケ」と書かれているが、これでは意味が通じない。そこで、先日、関市洞戸円空記念館で購入した『円空研究=10〈円空和歌集Ⅰ〉』で写真鑑定すると、上掲右の原書を見ると、「硯には」の次は「タマミカケ」と書かれており、のように見えるのは、右横の222番の歌の「幾度(いくたび)もたえて」の「た」の字とくっついてしまっているからそのように見えてしまったわけだ。この点、関市洞戸円空記念館から嘱託を受けて和歌の解説を書かれている方は、「タマノミカケ」と正確に読み取っている。