北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「円空の和歌」の解読 その3

前回(その2)に引き続いて、関市洞戸円空記念館の解説冊子で取り上げられている「円空の和歌」について、解読を試みる。
 前回、前々回と同様、素人ながら、和歌の語句・文言の本義をなるべく客観的・忠実に分析した上で、その歌意・趣旨を解読してみると、以下のような理解に至った。上記記念館の解説とは、かなり異なる解釈ではあるが、すぐれた和歌は、和歌自体が鑑賞者の知性・考えを写し出す「鏡」のようなものだから、解釈が分かれるのはある意味当然なのかもしれない。
 関市洞戸円空記念館の解説の内容についても、私見との違いが分かるように、[備考]で言及するようにした。

 

●世に伝ふ 歓喜(よろこ)ぶ神は 我なれや
  口より出(いづ)る 玉の数々
[原文]世ニ伝ふ 歓喜ふ神ハ 我なれや
     口より出る 玉のかつゝ[729]

[歌意]世の中に伝えよう 私こそが、歓喜する神(のような存在)なのだよと。私の口から発せられる言葉の数々は、歓喜の現れであるがゆえに、玉のように美しく輝いているように聞こえるのです

[備考]円空記念館の解説によれば、「円空自身が、悟りを開いて神となったために、円空の発言や説教は、神性な言霊(言魂)だ」という趣旨と理解されている。しかしながら、「神」も「玉」も比喩であって、「自身の言葉(発言)が呪文のように霊験・威力がある」という程の強い意味はないように思われる。円空は、あくまでも祈る存在(修験僧)であり、神が憑依してくる形相であって、自身のことを「万物に神性を付与する」神仏そのものと認識していたわけではない、と思われる。

 

 

●古(いにしえ)も 今も散りゆく 花なれや
  嵐の風に 世はまかせつつ
[原文]古も 今もちり行 花なれや
嵐の風に 世ハまかせつゝ[736]

[歌意]昔も今も、人は、花のように散る運命(さだめ)です。嵐が吹けば、いっぺんに散ります。このような世の定め・摂理に、逆らうことはできません。

[備考]円空記念館の解説では、「人間も無常の風が吹いたら死なねばなりません」という趣旨で「諸行無常」を詠んだ歌だと理解されている。私の理解とは概ね同じかもしれないが、円空は、阿弥陀如来を信仰していたことから、平家物語に出てくるような諦念に近い「諸行無常」の観念はもっていなかったように思う。

 

●もろともに 浮世の中は 神なれや
  思(おもう)心に 身渡りつつ
[原文]もろともに 浮世の中は 神なれや
思心に 身渡りつゝ[749]

[校注]「もろとも(諸共)に」は、「皆一緒に」「そろって」の意で、「渡る」は、「一方から他方に移動する」というのが原義。

[歌意(解釈)]浮世の世界は、全ての物事・出来事は神意にもとづく現象です。私のように、神を信ずる心(「思(う)心」)をもつ人の身には、神が私自身にも移動してきて(乗り移ってきて)、「自身の意のままに」すなわち「神意に沿って」生きています。

[備考]自分の意思に基づく行動が神意に沿うことと、円空自身が神になることとでは、次元が全く異なる事象である。円空記念館の本歌に係る解説の趣旨(「円空は、仏さまに全てをゆだね、自分の思うように生きる姿を歌っています」)は、私の理解と同じであるように見受けられるが、先の[729]番における円空記念館の解説内容(円空=神)との間で齟齬が生じているように思われる。

 

●出(いで)いかば 千々(ちぢ)の鏡と なりたもう
  幾万代に 御形(みかげ)のこさん
[原文]出いかは 千々鏡と 成玉ふ。
    幾万代ニ 御形のこさん[792]

[分析]「千々(ちぢ)」は、数が多いこと。「鏡」は、御神体の意。「御形」は、神の姿(具象)、ここでは、円空が造顕する神仏像の意。

[歌意(解釈)]私が、各地に出向けば、将来にわたって永遠に(幾万代ニ)保持される神仏像(「御形」)を造顕して遺そう。各地で多くの人々の守り神となり、地鎮の役目を果たしてくれるであろうから。

[備考]円空記念館の解説も同旨であろう。

 

 

●目を塞(ふさ)ぎ 月はいづくに あるものを
  普(あまね)く照(てら)す 心もや見ん
[原文]目をふさき 月はいくつに 在物を
     普く照す 心もや見ん[866]

[分析]「目を閉じ」ではなく、「目を塞(ふさ)ぎ」とあるからには、瞑想するの意ではなく、文字通り、手で目を塞いで、視界を遮断するという意になる。視界が阻まれている以上は、月(仏=神の象徴)は、いずくに(何処に)あるものかわからない。「を」は、ここでは(接続助詞で)逆接の確定条件「…のに」の意)。

[歌意]たとえ目を塞いで、月(神仏)がどこにあるのかわからない状態にしても、神仏は、この世の全てのものを照らしています(慈悲を注いでおります。)。人間の心の中もお見通しです。

[備考]円空記念館の解説によれば、「仏の教えは、人々を幸せにするありがたい教えなのですが、その教えに人々は目を塞いでしまう。それはちょうど目を閉じて美しい満月を探しているようなものです。」と書かれている。ここに「人々は目を塞いでしまう」という理解は、人々が「仏教を信仰を拒否する」という心理傾向があることを前提としているが、日本人は多神教であって歴史的にも(物部氏が滅んで以降)仏教が特に嫌われたり、積極的に排除した事実はないし、円空がそのようなことを和歌に詠んでいるようには思われない。また、上記解説では、「目を閉じて美しい満月を探しているようなもの」とあるが、ここでいう「探す」という意味を「いずくに」の語義から導くことは困難だと思われる。