北口雅章法律事務所

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「父の遺した『シベリア日記』」の違和感のわけ

弁護士会の書店に,大森一壽郎著
「父の遺した『シベリア日記』―35年目の帰還―」(司法協会)
が置かれてあったので,購入して,読んでみた。

「司法協会」といえば,旧法務省所管の財団法人で,
裁判実務の解説書を多く出版している,という面では公的な色彩の強い出版社である。
そして,著者の「大森一壽郎」氏は,最高裁訟廷首席書記官を経て,
東京簡裁判事等の経歴のある方とのことであり,
同氏の父であり,『日記』自体の筆者である「大森茂夫」氏は,
元最高裁判所事務総局経理局営繕課にて勤務経験のある方とのことで,
いずれも職業柄,ウソを書けるような方々ではない。

それゆえに,『日記』を拝見すれば,
まるで「火事場泥棒」の如く,日ソ不可侵条約違反を犯して,
旧満州に乗り込んできた旧ソ連軍が,旧日本軍の兵士・軍属を拉致し,
シベリア抑留のもとで,いかに悲惨な目にあわせたか!?,について

真相の一端を正確に伝えてくれるもの,と期待したからだ。

実は,私の伯父貴の一人も,戦後,旧ソ連軍の占領下で,シベリアに抑留され,
祖国に戻ってはこれたものの,まもなく死亡されたとうかがっている。

が,上掲『日記』の物語は,「ダモイ」(=帰国)と聞かされ,喜び勇んで列車に乗ったところ,
途中で,磁石を持った誰かが「どうもおかしいぞ」,
「(ウラジオストック港とは逆方向の)北に向かっているのではないか」という話が出て,
騙されたことに気づくところから始まるが,
捕虜を扱うロシア人たちのことが「気持ちのよい人たち」として親和的に描かれており,
また,様々な形での友好的な交流関係がユーモラスを交えて描かれていたのだ。

会田雄次の「アーロン収容所」(中公文庫)とは,えらい違いだ。

最後まで,「違和感」を抱きつつ読み進むと,『日記』の後に,
筆者の「オチ」(?)が用意されていた。

終章の「終わりにあたって」で,筆者は,「孫娘の回想」と称して,
娘の口から,祖父(『日記』の筆者)との思い出を次のとおり,語らせていたのだ。
曰く「私が高校性の時,祖父からこの『シベリア日記』の原稿を渡され,
コピーを取ってくるよう頼まれたことがある。その時祖父は,
『「シベリア日記」は一部と二部があって,コピーを頼んだのは,一部の方で,
二部の方は頭の中にある。二部の方は,悲惨で辛い,地獄での体験のようなもので,
とても字で書き表すことができなかったし,それらは,
多数の抑留体験者が書いているので,自分は抑留体験の中でも,
そのようなもの以外の,より人間的というか,
人間のおかしみや悲しみ等の体験を書いておこうと思った』と祖父は語った。…」と。

なんじゃいな。

(でも,翻って思うに,『日記』が如上の内容だったからこそ,「司法協会」も発行するのをよしとしたのであろうし,そのような出版内容であることは「司法協会」の性格を表しているように思われる。もっとも,ロシア女性の大胆な性行動を描いた場面が何カ所か出てきたが,ややオブラートに包まれていたが故に(?),「発禁処分」を免れたか???)

(上掲『日記』より)