北口雅章法律事務所

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円空は、何故、仏像に舌を出させたのか?

先日、高賀神社の横にある、「関市洞戸円空記念館」を訪ねた際、十一面観音像の口の凹みから、僅かに「舌」が出ているのを発見したことは既にブログに書いた。今般手に入れた古書「円空の彫刻」(精興社)を見てみると、その十一面観音像(岐阜県・洞戸高賀観音堂旧蔵)の口から舌が出ているのを写真でも確認できた。

 

しかも、いままで気づかなかったが、
この古書の写真から、東山白山神社(岐阜県高山市若達町)蔵の如意輪観音像も、口元から僅かに舌を出しているのに気づいた。

 

円空は、何故、仏像に舌を出させたのだろうか?

やはり謎という他ないが、動物神の大きな舌の像容が関東方面での巡錫後に失せたのに対し、晩年に作られた観音像にもなお微妙に「舌」が観察されるのは、何らかの意味があったことを窺わせる。だが、上掲・2体の仏像の「舌」に共通することは、はやり「目立たない」ということだ。現に、「関市洞戸円空記念館」の受付をされていた女将いおいてさえも、「舌」の存在には気づいていなかった。この意味で、「仏像としての品位」は保たれている。ということは、円空は、気づく(=「解る・察する」)鑑賞者だけに気づくように、「イタズラ心に仕掛け」てみて、ニヤニヤと人々の観察力を試していたのではないか、と思えてならない。ここにも、私は円空のイタズラっぽさと、ユーモアを感じる。

だが、拡大写真も「良し悪し」で、気づかなくてよかったものまで、気づいてしまうこともなきにしもあらず。鳥屋市不動堂旧蔵(岐阜県・上之保村)の尼僧像もまさか舌を出してないと思いたいが… チロっとイヤナモノが写っているような…。この像は盗難にあってしまっているので、今では、実物から見て、舌が出ているか否かを確かめる術がない。