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円空と深沙大将 その1

深沙大将(しんしゃたいしょう)」とは、三蔵法師・玄奘が天竺(古代インド)に渡り経典を持ち帰るべく砂漠にさしかかったときに奇怪な姿で現れ、玄奘を護衛して無事に唐に送り、再び、姿を消したといわれる伝説の神である。典型例は、赤身の裸形で臍と膝頭に人面があり、頸(首)から骸骨をつないだ「瓔珞(仏教の首飾り)」をかけているが、京都・金剛院の像のように単なる裸像として造顕されている例もある(石田茂作「仏教美術の基本」)。

 

円空仏には、深沙大将そのものを造顕した像は遺されていないが、深沙大将を念頭において造顕されたとみられる像が美濃市に遺されていた。それが「秦蛇大王守」と墨書された像である。①「秦蛇」の音(しんじゃ)は、「深沙(しんしゃ)」に通ずること、②深沙大将の像容が左手に蛇をもち、「秦蛇大王守」の方は、下半身に2匹の蜷局をもった蛇の頭部が左右から相対する図柄が描かれており、共に蛇に関連すること、③胸部に「瓔珞」が刻されていること等から、深沙大将を意識して造顕されたことは疑いがない。だが、この像に関しては、それ以上のことは何もわからない。

(「円空学会だより」第72号より)

 

ちなみに、円空が志摩半島に遺した仏画では、深沙大将は、少なくとも4枚に描かれている。

 円空は、片田漁協旧蔵の大般若経の扉絵として、南北朝時代に描かれた大般若経見返絵を模写しつつ、独自にこれを変容させた扉絵を58枚の遺している。

 

拡大すると、真ん中に釈迦が蓮台に座していて、その足下の左右(脇侍)に文殊菩薩・普賢菩薩が並び、向かって左側の文殊菩薩の左横の赤丸が、深沙大将で、確かに左手に蛇を持ち、首に骸骨の瓔珞をかけた姿が描かれている(ちなみに、その後方・橙色枠で、「戟(げき)」様の棒を持っている長髪・髭の男性が「法湧(ほうゆう)」で、右側の青丸三蔵法師・玄奘である)。

 

これを模写して円空が描いた深沙大将が次のとおり。
(この続きは別のブログで)