北口雅章法律事務所

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さすが、“ 反骨の人 ” 団藤重光先生

 

上記メモに何が書いてあるか?と思って、現代表記に改めて(若干補って)みると、
(昭和)53年7月19日(水)協議(審議官および岸上裁判官で各1回)
 7月19日付で、国側から、本件を(最高裁)大法廷の審議にまわすよう要請する「上申書」が提出された。
 岸上(康夫)裁判長岡原(昌男)長官室(注:岡原長官は、前職=大阪高検検事長=国側、二小(第二小法廷)の吉田(吉田豊判事)、三小(第三小法廷) 服部(高顕)裁判官の同席のもとに相談。なお、その際にたまたま村上(朝一)元長官から長官室に電話があり、岡原氏が岸上氏に受話器を渡したところ、法務省側の意を受けた村上(元最高裁長官)氏(代理人としての受任はない由)が大法廷廻付を要求された由。この種の介入は怪しからぬことだ。)」

 

※岸上裁判長が、岡原長官から、吉田・服部各裁判官とともに長官室に呼び出された後、岡原長官室での一部始終をその後に団藤先生にコソッと耳打ちしたのであろう。岡原長官と村上前長官は、完全に示し合わせていたものと考えられる。

 

<追記>

意味的には、A=国側、B=長官室なのだが、あまりにくずれた字なので、自信がなかった。だが、崩し字字典によれば、このとおりで間違いないことが確認できた。