北口雅章法律事務所

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「裁判所の和解勧告」について

 「地裁での」裁判審理は、一般に、主張・立証、反論・反証を積み重ねた後、①人証調べ(通常、1日で、集中的に終える)を経て、②証拠調べの結果を踏まえた最終準備書面を書き上げ、③最終弁論を終えた後、④判決言渡しを受ける、という手続のステップを踏むことになる。
 ところが、上記一般論は、必ずしも「原則論」ではない。通常の一般事件であれば、上記①の直前、あるいは①と②の手続の間に、原則的には、裁判所からの和解勧告がある。双方当事者が「判決」を受けるのではなく、判決内容を見越して、裁判所の勧告に従って、「示談」するのが「裁判上の和解」である。

 和解勧告をしてくる裁判所の「勧告理由の建前」(=正当化理由)は、「紛争の早期・円満解決」にある。
 だが、医療裁判の場合、患者側は、必ずしも「紛争の早期・円満解決」を望んでいるわけではない。つまり、医療裁判の目的は、「お金(賠償金)」ではない、と考えている。特に私が受任する医療訴訟の依頼者の場合、「紛争の早期・円満解決」を望むケースは殆どない。患者側当事者が「医療裁判」に求めることは、あくまでも、「真相解明」と「医療事故の再発防止」である。
 このことが、遺憾ながら、裁判所に必ずしも十分に理解されていないことがある。つまり、医療裁判で、裁判所が訴訟当事者に和解を勧告するということは、医療被害にあった患者側当事者が求める利益、すなわち、「真相解明」と「医療事故の再発防止」といった所期の目的を「示談金」にスリカエよ、ということを意味する。特に、病院側が、裁判の過程で、エゲツナイ偽装工作をしたり、「裁判所の無知」に乗じて、医学の常識に反する主張を臆面も無く堂々と展開しているような場合に、患者側に和解を勧告する、ということは、「いくら頑張ったって、負けますよ。」と言って、患者側を冒瀆するに等しい。「本来、患者側が勝つべきはずの医療裁判で、裁判所の和解勧告を受け容れる理由」など全くないからだ。

 このような場合、和解勧告をする「裁判所の魂胆」は、透けて見える(私のブログ読者の中には、現役裁判官もいるので、あまり生々しく書くと、いろいろ誤解を受けるので、あくまでも、私のブログは「具体的事件」を念頭においたものではなく、抽象的な一般論として読んで頂きたい。)。
 ① 判決起案に要する過重負担・過重労働を避けたい、
 ② 判断に迷う;自信がない;如何なる判決を書いても、負けた当事者から「控訴されて判決が覆る可能性」があり、できればそのような事態は避けたい、
といったところか。

 医療裁判に自信のある弁護士は、「毅然とした態度で」、「裁判所の和解勧告」を一蹴する。かつての私がそうだったように。
 だが、私も齢を重ね、医療裁判の経験を積んでくると、次第にいろいろなことを考えるようになった。例えば、所詮、「裁判による真相解明」など幻想ではないか。一旦、敗訴判決を受けた場合、「やる気の無い」高裁判事にあたると、いくら説得的な控訴理由を書いても、一蹴されてしまう危険が高いのではないか、そのような危険を依頼者に負担させていいものか、と。

 そこで、升田純先生の「実戦 民事訴訟の実務《第6版》」を紐解くと、案の定、「敗訴の可能性が相当に高い場合には、一般的にいっても、和解によって譲歩を引き出すことが得策であるが、勝訴の可能性が高い場合には、自己の都合で最終的に和解を拒否すると、勝訴の可能性が逆に敗訴の方向に可能性が高まるおそれがあるため、むしろ慎重に検討し、交渉することが必要である。」(510頁)と書かれている。

そして、「【第10講】 和解勧告の実戦訓」として挙げられていることを拾い読みすると…(著作権を侵害するおそれがあるので、全部紹介できない)

《和解裁判官と手抜き裁判官は、あちこちに》
《下手な判決より不満な和解》
《和解の言い出しは弱気の証拠》
《裁判官の脅しに屈すること勿れ》
《明日の百両より、今日の50両》
《ごね得は、社会の常識、和解の常識》

 

依頼者の意向は、必ず確認するはずだが…

 

 それにしても、医療裁判で、患者の遺族側が「第1審敗訴後」に「高裁判決前の和解」(お見舞い金程度しか出ない)を希望するかなぁ?? 医療裁判を行う目的を依頼者=遺族ときちんと共有・確認しておくことは、やはり重要なんだなぁ…