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小渕山観音院の円空仏、主尊は聖観音か?

小渕観音院のホームページ(動画)の冒頭で紹介されている三尊像で、不動明王と毘沙門天を両脇侍として挟まれた立像は、聖観音なのか。

単純に考えれば、所在地が「小渕『観音』院」であり、観音の本質は、古代中国の菩薩信仰であり、この主尊の頭部には、菩薩に特徴的な宝冠(化仏を伴っている)が彫られ、左手蓮華の蕾(つぼみ)を持つこと(仏心を育てる意をもつ)等から、「(聖)観音」であることを疑う余地がない、というのが通説であろう。

 だが、若干気になることは、仏教の教理的にいえば、この主尊像は、「如来」の特徴を兼ね備えている、ということだ。

 第1に、額に「白毫(びゃくごう)」が墨で描かれている。
法華経によると、釈迦が1200名の出家信者とともに王舎城の霊鷲山(りょうじゃせん)に住んでいた当時、多くの菩薩や天王らの前で瞑想(三昧)に入ったとき、突如、釈迦の白毫(眉間にある巻毛の塊)から一条の光が放たれ、地獄から天界に至る全世界と、衆生の全てが観察されたと描かれており、このとき、弥勒菩薩の心に「ああ、如来は、大いなる瑞相(前世)である奇跡を現された…」という思いが生じた、とされている(序品第一、植木雅俊訳「法華経・上」岩波書店9頁)。つまり、白毫は、天台宗系の修験者として法華経に深く帰依していた円空にとっては、釈迦如来の象徴なのである。

 

 第2に、主尊の右手は、胸前で、第1指と第2指を念じた印形であるが、この印形は、「中品上生」の僧侶(「五戒・八戒を守り、五逆を行わない人」)の死去に伴って来迎する「如来の印形」とされている。

 そして、第3に、この主尊は、極楽に咲く花である蓮華の座に立っている。

もっとも、これら「如来」の特徴は、円空仏には妥当しない、という意見もあるかもしれない。円空が東北・北海道に遺した観音像はすべて蓮華座の上の座像か立像であり、中には、「白毫(びゃくごう)」を付した観音像も存在するからだ。

 しかしながら、「中品上生」の印形は、「如来」に特徴的な印形であることは、同じ印形をもつ阿弥陀如来像を円空が華蔵寺(埼玉県深谷市横瀬)に遺していることから動かない(上掲写真)。確かに蓮華座自体は、如来像と観音像とに共通する特徴ではあるが、小渕観音院の主尊の場合、着衣の裳裾に「雲形文様が描かれていることは(脇侍の毘沙門天の甲冑に彫刻された龍頭の両側面にも雲形文様が描かれている)、岩座に立った両脇侍の合間に、天上から釈迦如来が来迎のため、降臨してきた状態を示唆しているようにも思える。