北口雅章法律事務所

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日蓮が女性にモテた訳

日蓮の信奉者は、女性の方が圧倒的に多かったといわれている。日蓮が女性に宛てた手紙を読めば、むべなるかな、と思う。教祖が筆まめで、「歯の浮くような」文面で「内助の功」を激賞したり、近親者を亡くして、暗く沈みきった女心に寄り添えば、モテないわけがない。

 

日蓮が女性に宛てた手紙三選
改訳して紹介します。

その1.富木常忍(信徒)が母(90歳)の死去を報告に日蓮の居所(身延)を訪ねてきたとき、その帰り際に、日蓮が、その富木常忍(夫)に託して、その夫人(尼御前)に宛てた手紙

「矢が飛ぶのは弓の力によります。雲がわくのは龍の力によります。夫がその務めを果たすことができるのは、妻の力によるのです。今、富木殿がこの身延に来られたのは、尼御前のお陰です。煙を見れば、そこで火が燃えていることが分かります。雨が降れば、その背後に龍神が御座すことがわかります。夫を見れば、その妻の様子が見て取れます。今、富木殿とお会いしていると、尼御前、あなたにお会いしているような気になります。
 富木殿がお話しくだすったことは、このたび、御母堂が亡くなれたという悲嘆の中でも、臨終の顔相が良かったことと、尼御前がよく看病してくれたことの嬉しさでした。富木殿は、『この嬉しさは、生涯も死後も忘れることはありません。』と言って、喜んでおられましたよ。」(1276.3.27、日蓮54歳)

 

その2.最愛の子(五郎)を亡くした母・上野尼に対し、日蓮が五郎の死去の翌日に送った手紙

「人は、生まれたからには死ぬのが定めです。智者も愚者も、上下を問わず、誰もがわきまえていることなので、歎くことも驚くこともないと分かっていたいたつもりでしたし、他人にもそのように教えてきましたが、五郎殿の逝去に直面して、夢なのか幻なのか、いまだに気が動転しております。
 まして、実母のあなたはどれほどお嘆きでしょう。あなたは、父母に先立たれ、兄弟にも先立たれ、最愛の夫にも先立たれてしまいましたが、お子さんに多く恵まれましたので、心も慰んでおられたことでしょう。ところが、お子さん方のうちでも最愛のお子さんにして、しかも男児で、容姿端麗で、心がけも立派であったので、誰もが清々しく見ていたのに、…。道理に反して蕾(つぼみ)となった花が風に萎み、満月が消え失せてしまったように思っておられることでしょう。」(1280.9.6、日蓮58歳)

 

その3.最愛の子(五郎)を亡くした母・上野尼に対し、日蓮が五郎の死去の4ヶ月後に送った手紙

「亡五郎殿は、年齢は16歳で、心根も容貌も優れていた上、才気煥発で、万人から賞賛されていただけでなく、親の心に従うことは、水が器に従い、影が身に従うが如きでした。家では大黒柱とたのみ、道においては杖のような存在でした。箱の中の宝もこの子の将来のため、使っている従者もこの子の将来のため、でした。私(上野尼)が死んだら、この子に担がれて埋葬場へ行った後は、何も思い残すことはない、と常々思っていたところに先だれてしまった。夢か幻か、覚める、覚めると思っても、夢から覚めることもないまま、年も改まってしまいました。いつま待てばいいのか、再会できる場所だけでも言い残しておいてくれたならば、羽がなくても昇天しよう。船がなくても渡航しよう。大地の底にいると聞けば、どうして大地をも掘らないでおれましょうか、とお嘆きのことでしょう。」(1281.1.13。日蓮59歳)

 

まるで、セラピストが、カタルシスの手引きをしているような手紙ですな。

<出典>植木雅俊「日蓮の手紙」(NHKテキスト)から