北口雅章法律事務所

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円空の肖像

円空はどのような顔立ちをしていたのか?

千光寺(岐阜県高山市)には、「円空の肖像画」の模写が遺されている。

上掲肖像画(模写)の原画は、円空が遷化したときに居住していた弥勒寺(岐阜県関市)にあったが、大正9年(1920)に同寺が火災で焼失した際、焼失している。
では、その原画は、画家が円空を観察しながら、正確に描いたものであろうか。

上掲肖像画の原画は、伴蒿蹊・本居宣長を師と仰いだ飛騨出身の国学者である田中大秀(おおひで;1777-1847)が、円空を私淑し、弥勒寺から借り受けて、自身の居宅の壁にかけて礼拝してしていた際(田中紀文筆『円空上人の像ををかむ(拝む)ことは』「先出居の壁にかけ奉りて、をかミ(拝み)ぬかつきつつ打あふけば」)、画家に依頼して模写させたものである。高名な国学者が、自室にて礼拝(「展拝」)するからには、それなりの由緒・言い伝えがあったものと推察され、円空本人と似ているか否かはともかく、特徴をつかんでいることは間違いなさそうだ。

このことを前提に考えると、どうやら顔の形は、面長ではなく(瓜実顔でも狐顔でもない)、目鼻が大きくはっきりとしており口元は締まりがなく(大声で笑い、読経し、呪文を唱えていたことを窺わせる)気さくで庶民的な、普通のオジサンといった感じである。もっとも、肩は「いかり肩」であり、造仏作業で鍛え抜かれた上半身を窺わせるが、指先は厳つさを感じさせない(慈恵大師の肖像と概ね同じポーズである)。
模写とはいえ、(依頼主=田中大秀の要望に添って)原画に似せて描かれているだろうが、このような顔相が「似顔絵」といえるレベルものかは知るよしもない。が、唯一の手がかりは、円空自身が自刻像として造顕したとみられる護法神との相似性が認められるか否かであろう。

 

目と鼻は、概ね実物に沿って、描かれているように思われる。
どうやら、ポーズは、慈恵大師と同様に描いてくれ。口元については、アノ役行者像と同じように描いてくれ。」と円空から直に頼まれた画家が、正直に、口を半開きにして、「前歯の欠けた歯」を描いたところ、それを見た円空が大笑いしたに違いない。