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円空仏の後頭部の宝印は「ウ・最勝の」の意か?(下)

 

延宝七年(1679)、円空が白山神から「円空が造顕した神仏像には『世尊(釈迦如来)』が宿る」という趣旨の託宣を受けて以降、円空仏の後頭部に墨書されるようになった上掲の宝印は、何を意味するか。

 

先のブログでは、本宝印は「ウ(最勝の)」の梵字(その変形)であるという円空学会の定説には具体的・合理的な根拠が示されていないことを論じた。「だったら、お前はどう考えるのか?」と問われることになる。もちろん確信・確証はないものの、愚弁の「仮説」は、次に述べるとおりである。

 

本宝印と同形・類似の梵字が存在しない以上、本宝印はそもそも「梵字」ではない、と考えられる。であれば、本宝印は、円空自身の独自の「一種の花押」と考えるのが素直であり、合理的である。

 

では、本宝印は、何を象(かたど)った「花押」であろうか。

 

 愚弁には、呵呵大笑する龍頭にみえる。

 

 

 円空が白山神から上記の託宣を受けたとき、白山神に感応したはずであるが、この時、白山神は、おそらく八大龍王(円空が帰依・信奉する法華経にも登場する。)を眷属として従えて降臨してきており、円空は、白山神と同時に、その眷属である龍をも感得したのではないだろうか。

 もちろん、客観的・実証的な根拠などは存在しない。だが、本来の花押であれば背銘の末尾に記載すべきところ、本宝印が神仏像の後頭部(トップ)や背部の中心的位置にて墨書されるのは、まさに円空が白山神=十一面観音に感応しつつ当該神仏像を造顕した、という証し(あかし)として墨書しているものと考えて矛盾がない。そして、このことを示唆する傍証として、二点ほど情況証拠をあげることができる。

第1に、本宝印が墨書されるに至ったのは、既述のとおり円空が白山神からの御託宣を受けたことが契機となっていると考えられるが、周知のとおり白山神の本地仏は十一面観音である。円空が晩年、円空独自の三尊を構成し、十一面観音の脇侍として善女龍王を位置づけているのは、白山神=十一面観音の眷属として龍が欠かせない存在であることを示唆しているように思われる。

そして、第2に、円空は、白山神の御託宣を受けた直後に、天台系修験の総本山であ園城寺(三井寺)に巡礼し、ここで一躯の八大龍王ではなく、八躯の龍王を造顕している。園城寺に遺された円空仏は、「7躯の善女龍王であって、八大龍王ではない。」という見解もあろうが、1躯失われたか、あるいは、1躯の背銘に刻された神像1躯と合わせて8躯と考える方が素直であろう。

園城寺蔵・八大龍王