北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

円空学会・前理事長、長谷川公茂氏のご冥福を祈る

今月(令和5年10月)1日に届けられた「円空学会だより」(季刊209号)は、長谷川・前理事長のご逝去を報ずるもので、弔辞・追悼文が多く寄せられていた。

 

円空学会の前理事長(二代目)は、令和5年8月30日にご逝去され、享年91年とのことであるから、昭和8年生まれで、私の母と同じ年ということになる。昭和8年(1933)といえば、我々法学徒は、滝川事件(戦前、右傾化が進むなかで起きた、自由主義的な学問に対する弾圧事件の一つで、京都帝国大学法学部の滝川幸辰・刑法教授が、鳩山一郎文部大臣の政治的圧力のもと休職処分を受け、同大学法学部教授の多くが辞表を出したが、結局は、押しつぶされた。)を想起できなくてはならない。

それはさておき、長谷川・前理事長の理事長在任期間は、昭和56年(1981)から平成25年(2013)までの32年間とのことであるから、円空研究、円空仏の普及に尽力された長谷川・前理事長の功績は、高く評価されなければならない。
私も、長谷川・前理事長の著作物は何冊か読んでいる。

 

長谷川・前理事長が円空仏にのめり込む契機となったのは、氏の学生時代だったか(と記憶しているが)、音楽寺(愛知県江南市)所蔵の護法神との出会いにあったといろいろなところで述べておられる。庶民的な慈愛に満ちた表情の像容に、癒やされたことと拝察する。

梅原猛先生が、御著「歓喜する円空」の表紙に、音楽寺の護法神の写真を掲載されているのも、長谷川・前理事長への敬意の表れであろう。梅原先生が円空仏にのめり込むようになった切っ掛けは、岐阜県の芸術家顕彰「円空大賞」の選考委員長を務められた際、岐阜県から円空について一冊の本を書くよう要請されたことにあるが、「同じく選考委員を務める長谷川公茂・円空学会理事長の案内で円空仏のある寺々を回り始めた」と書かれている。

 

上掲「円空学会だより」に寄稿されている船橋昌康氏「長谷川公茂さんとの出会い」によると、「…その日、彼は『やはり円空仏は実物を拝顔しないと話にならない』と言って近くの音楽寺に案内をしてくれたのが最初の出会いでした。」と書かれている。昭和36年の夏、まだ、私が乳児期の頃の昔だ。
『やはり円空仏は実物を拝顔しないと話にならない』という長谷川・前理事長のお言葉は至言で、円空展に出向くたびに実感することであるが、私自身は、実は内心、(お寺の本堂等に安置されている円空仏は別として)『やはり円空仏は実物を手に取って触ってみないと話にならない』と思っている。円空仏の大半は、「念持仏」として造顕されたものと考えるからだ(この関係で、仕事の合間に、円空仏のレプリカに触りながら、物思いにふけることも多い。)。
 ともあれ、長谷川・前理事長のご冥福を謹んで祈ります。